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 大阪と京都の中間点、阪急電車の高槻市駅で途中下車した。
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高槻市というところは、人口35万人くらいもある大阪府の中ではトップ10に入る大都市である。
そして、京都と大阪を結ぶJRの新快速、阪急電車の特急が停車する交通の要衝でもある。

 そうなると、飲食店が林立することになり、ラーメン店も多く、高槻はラーメン激戦区と云われる。
 高槻の南の町外れの住宅街に有名なラーメン店が十数年前オープンし、大繁盛し行列店となった。
 この店、拡大に拡大を続け、今では北摂を始めとして、大阪北部の各所に店を構えるチェーン店となっている。
 KSの店が高槻市の駅前に数年前に出来ている。 「彩色ラーメン KS 高槻駅前店」と云う。
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前々から気になっていたので、良い機会と訪れてみた。

 店内はそう広くはない。
調理場前と壁際にカウンターが10席強あるだけの店である。
先ずはカウンターに腰を下ろし、注文である。
 メニューを見てみる。
醤油、塩、そして豚骨を交えた濃厚そうなラーメンが並んでいる。
 その中から、いつものことながら、メニューの一番トップに来ている「極みの醤油」を選んだのであった。
説明書きによると鶏出汁に節を加えた和風スープとのことで、期待できそうなラーメンである。
先ずは、暫く待つことになった。
 10分ぐらいしてそのラーメンが出てきた。
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トッピングは、柔らかそうなチャーシュー、カイワレだいこん、白ネギ、メンマとナルトであり、さすがに彩色ラーメンを売り物にしているだけあって、色配置を工夫したラーメンである。
そしてラーメン鉢も白で、店の名前が黒太文字で書かれていて、清潔感とアクセントがある。

 さあ、頂いてみよう。
 先ずはスープ。あっさり味で、和風のコクのある味である。
こってり好きな方には、少し物足らないかも知れない。
 麺は中細のストレート麺、コシも強くなく、スープとよく絡み、柔らかく食べることができる。
 チャーシューは、標準よりは薄いが、これも柔らかく仕上がって、美味い。
メンマも、全体に合うような柔らかさである。
 なるほど、全体の味のバランスを考えて、そして色のバランスも考えたラーメンである。
そして瞬く間に完食となったのであった。
 新たに入店した客の注文は「塩」が主流である。
塩の方が更に美味いのかも知れない。今度は塩かな?と思いつつ、店を後にしたのであった。
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 食後は近くの探索である。
ラーメン店から南の阪急電車の高架線路を潜り、さらに国道171号線(通称、いないち)を越えたところに、高槻城跡があるので、行ってみた。
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高槻城は、元々は平安時代に築かれた城で、南北朝時代・戦国時代を通して、駿河からやってきた貴族藤原氏の子孫の入江氏が城主を務めていたが、織田信長に滅ぼされ、和田惟政が城主となり、更にキリシタン大名で知られる高槻の奥の北摂能勢出身の高山右近が、改易されるまでの10年間弱、城主を務めた城である。

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その後、江戸時代になり最初は目まぐるしく城主が変わったが、最後は永井氏が務め、明治維新を迎えたものである。

 高槻城跡には、石垣が積まれた模擬天守台に城主高山右近の像が建てられている。
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多くの城主の中で、なぜ右近なのかはわからないが、地元の北摂出身の殿様で、歴史の表舞台にも幾度となく登場し、またバテレン追放令によって、マニラにて最期を遂げる悲劇の主人公でもあったからであろうか。

 その高槻城は天守、本丸、二ノ丸、三ノ丸などを有する大きな城であった。
その広さは、南北約630m、東西約600mと云われている。
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城跡の現在は、概ね公園とされているが、本丸跡地は府立高校、二ノ丸跡地は何かの施設の建築中、その他は小学校や文化施設、住宅地などとされている。

 尚、下の写真は「しろあと歴史館」である。
高槻城は築城後400年を迎えると幟がたてられている。
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400年前というと、丁度大坂の陣が終わったところであり、大坂も徳川一色になった記念であろうか?
高山右近と対比してみると、ちぐはぐなのは否めない。

公園内には、右近の像を始め、庭園、高槻市立歴史民俗資料館、そして子供のための遊具施設も設けられている。

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 下の写真は平和モニュメントで「未来のゆりかご」というタイトルである。

 城跡公園を離れて、東へ回り込むと大手門(東)跡の石碑が建てられている。

また城跡付近から駅へと戻る路地は、かつては城下町が形成されていたところである。
当時の建物とは直接の関係はないが、趣のある町屋も多数見られる高槻である。