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近鉄電車の奈良線・京都線と大和西大寺で別れて橿原神宮まで南下する橿原線の途中駅に「田原本(たわらもと)駅」がある。
奈良盆地のほぼ中央に位置する磯城(しき)郡田原本町の中心駅である。
 田原本には、弥生時代の代表的遺跡である唐古・鍵遺跡がある他、古代には朝廷や豪族の鏡作りに従事した鏡作部が住むところであった。
また、豊臣秀吉の配下で賤ヶ岳の七本槍の一人である平野長泰が、田原本に領地を拝領し、後に田原本藩が立藩されたところでもある。この田原本駅で途中下車し、東へ向かい、以前から気になっていたうどん店と唐古・鍵遺跡を探索することにした。

 駅から東へ向かうと、先ずは古代の大和五街道の1つである「下ツ道」を横切る。
 そして、寺川を渡り、進むと、現在の国道24号線へと到着する。
その国道24号線を少し南下した辺りにある十津川うどんの「K道」という店を訪れてみた。
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以前から、この国道を通る度に気になっていた店である。

 店の表には、十津川うどん、めはり寿しと書かれた大きな看板が上がっている。
いずれも初めて目にする料理なので、期待が膨らむ。
 店内は、カウンター、テーブル、小上がりと多彩で、ほぼ席が埋まっているような状態であったが、カウンターに空きがあったので、とにかく腰を下ろしたのであった。
 さて、注文である。
やってきた店員嬢に「十津川うどんの特徴的なうどんはどれですか?」と聞くと、
「肉汁うどんがいいですよ」の答え。
「じゃあ、それでお願いします。ついでに、めはり寿しを一つ」と注文を終えたのであった。
 待つこと10分ぐらいか、料理が運ばれた。
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肉汁うどんは、麺と出汁が別々になったつけ麺である。
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一方、めはり寿しは、高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎりである。

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 早速、頂いてみよう。
先ずは、めはり寿しにかぶりつく。
高菜は柔らかくて、食いちぎるのに苦労する。おにぎりは炊き込みご飯である。
 次に、本命のうどん。つけ汁は甘さ・旨さが勝っている醤油味である。
具は、沢山のキノコ・山菜に油揚げ、そして少しの肉片である。
うどんに出汁を絡めると、丁度良い加減の味である。
うどんはコシがそんなに強く無いので食べ易い。
 量が多いので、食べ終えるのに苦労したが、無事完食、満腹となったのであった。
 十津川うどんの特徴はと云えば、メニューの端書によると、小麦粉100%、天然塩、そして十津川の清水で打ったご当地うどんとのことである。
また出汁は、土佐清水の宗田節、熊本牛深のうるめ節とサバ節、そして薩摩の本鰹節に道南の天然真昆布で、十津川の清水にて出汁を取り、吉野の手造り醤油で味付けしたものとのことである。
 また、めはり寿しであるが、元来は非常に大きな握り飯であり、口を大きく開けてかぶりつくと 目を見張ったような顔つきになることから名づけられたとのことである。
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 さて、食事の後は付近の探索である。
 この探索も、以前から気になっていた。国道沿いで少し北にある「唐古・鍵遺跡」とすることにした。
 弥生時代の大環濠遺跡であり、国の史跡である唐古・鍵遺跡は国道からも特徴がある建物が見える。
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それは復元された楼閣である。

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 遺跡の入り口には標柱が建てられている。
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その向こうは長方形の唐古池である。

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 この池の底からは、弥生時代の土器や木製品等が発掘されていること、また周囲からも多くの発掘品があることなどから、この池の地を中心として多重の濠を有する環濠集落が形成されていたとのことである。
 そしてその広さは、42万平方メートルで甲子園球場の10倍以上の広さであったと云われている。
 また、木棺墓から弥生人の成人男性の人骨が発見され、それから復元された顔の写真も掲示されている。
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 池の周囲の一角に付近の子供たちが並べたのであろうか、コスモスの花の環が置かれていた。
 尚、解説によると弥生時代には、現在の池の北部、西部、南部の小高い丘に居住域が形成されていて、多くの環濠が取り巻いていたと云われる。
 そして何度も洪水に見舞われ水没するが、その度に再建されたとのことである。
 この遺跡の出土物からは、全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られている。
そして弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかとも推定されている。
 中世には、唐古氏、唐古南氏、唐古東氏の居館が建てられ、唐古南氏の居館周辺は現在の鍵集落へと発展したものと云われている。
また江戸時代には、中央部を唐古・鍵池として掘削され、また遺跡の周辺が水田として開削されたと云われている。