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 奈良盆地の東山麓には、山辺ノ道が敷設されている。
 山辺ノ道は古代の大和国の五街道、即ち東から山辺ノ道、上ツ道、中ツ道、下ツ道、そして筋違(すじかい)道の、最も東に位置する街道である。
 この山辺ノ道は、春日の山から三輪山麓を結んでいる道であるが、天皇陵やら神社やら、現在では多くのポイントを結ぶ、観光ウオーキング道路となっている。
 この山辺ノ道を歩いてみると、途中に「大和の青垣」という看板がある。
「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる大和し 美わし」とされている。
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日本神話の英雄で景行天皇の子の倭健命(やまとたけるのみこと)作と云われる歌である。

 この山辺ノ道からは、西遠くに大阪との境である生駒山を望むことができる。
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 また目を少し南へ移すと、二上山を望むこともできる。
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 この青垣の少しの南に桧原神社が鎮座している。
桧原神社は、元伊勢と云われる神社である。
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 その訳は、古代のその当時、皇居に祀っていた天照大神の神霊を、崇神天皇が皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託してこの地に祀ったとされる。
豊鍬入姫命は、この倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立てて、祀ったとされている。
 神社の社頭には、注連縄柱が建てられ、注連縄が架けられている。
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 それを潜ると正面の左には豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮が祀られている。
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 そして正面には三ツ鳥居が建ち、その向こうにはご神体の三輪山で、天照大神が祀られている。
祭神は、天照大神若御魂神の他に、伊弉諾(いざなぎ)命、伊弉冉(いざなみ)命である。
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神社創建から時代は降って、垂仁天皇の時代に天照大神は豊鍬入姫命から、垂仁天皇の皇女である倭姫命に託されたとのことで、倭姫命は大神を奉斎しながら諸地方を遍歴し、伊勢に辿り着き、現在の伊勢神宮が祀られたとのことである。

 神社の佇まいは、いかにも神さびた雰囲気で、元伊勢と云うにふさわしいものである。
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 神社の門前に桧原御休処がある。
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丁度昼になったので、この店へと向かったのであった。

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 店の食事席はテラス状になっている。
 その一つのテーブルに座り、メニューを見てみた。
 和スイーツが主体であるが、そうめんのメニューもある。
「冷やし」か「にゅうめん」である。
ここは時節に合わせて、にゅうめんを注文したのであった。
 このあたりの三輪山の西麓の三輪地域は素麺の発祥の地であると共に特産地である。

 その謂れは、崇神天皇の時代に、大物主命の五世の孫の大神神社神主の大田田根子の子孫で、狭井久佐の次男穀主朝臣が、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ神の啓示を賜り、三輪の地で小麦を作り、その粉からそうめんを初めて作ったのが始まりとのことである。

「にゅうめん」は「煮麺」と書くとのことである。
うどん出汁にうどんの代わりにそうめんを入れ、具は細麺にふさわしい飾り付けをしたものである。

 そうこう云っている内に、にゅうめんが出てきた。

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出汁は半透明、具は椎茸、かまぼこ、鮮やかな三つ葉、ワカメ、人参、それにゆず皮である。
色彩を考慮したカラフルな飾りつけとなっている。

 さあ頂いてみよう。
 出汁は昆布と節であろう。醤油が薄目であるが、コクがある。
麺はと云えば、柔らかいがシャキッとしている。具はそう味のあるものでない。
煮た椎茸の甘い味わいが、変化を添えてくれている。

 麺を食べたり具を食べたりで、最後まで美味しく頂いたのであった。
 茶店で腹ごしらえしたあとは、引き続き山辺ノ道を南下、大神神社へと向かったのであった。
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