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大阪阿部野橋から奈良吉野へ路線を繋ぐ近鉄電車の南大阪線の支線に河内長野へ向かう長野線がある。
その長野線は羽曳野市で分岐するが、分れて2駅目が「富田林駅」である。
その長野線は羽曳野市で分岐するが、分れて2駅目が「富田林駅」である。
富田林は、最近までは高校野球のPL学園の地元として知られている。
また、PLの大花火大会などでも知られているところである。
また、PLの大花火大会などでも知られているところである。
その富田林に、中世から近世にかけて寺内町として整備された街並みが残されている。
近鉄長野線に乗り、富田林を通過してしまうのももったいないので、昼食も兼ねて途中下車したのであった。
駅を降りるとロータリーに「楠氏遺跡里程標」という標柱が建っている。
その遺跡への訪問は又の機会にして、今回は駅とその石川との間にある碁盤の目のような富田林寺内町をスピード探索してみることにする。
寺内町であるので、街の中央に、中心寺院がある。
浄土真宗興正寺別院と云う。
浄土真宗興正寺別院と云う。
西本願寺派興正寺の証秀上人が、この石川西の河岸段丘の荒芝地を百貫文で購入し、周辺4ヶ村の八人衆の協力で、芝地の開発、興正寺別院の建立、畑、屋敷、町割等を行い、名も富田林と改めたというのが始まりである。
その興正寺別院であるが、6つの建物が国の重要文化財に指定されている。
上掲の山門と下掲の鼓楼、鐘楼などである。
上掲の山門と下掲の鼓楼、鐘楼などである。
街並みの外れ辺りに、旧杉山家がある。
その旧杉山家は、明治から昭和にかけて活躍した作家、歌人の石上露子(いそのかみつゆこ)の生家でもある。
露子の本名は杉山孝(たか)と云い、「明星」でデビューし、その後「新詩社」の社友となり与謝野晶子らの4人と共に「五才女」と云われた才女であった。
露子の本名は杉山孝(たか)と云い、「明星」でデビューし、その後「新詩社」の社友となり与謝野晶子らの4人と共に「五才女」と云われた才女であった。
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その他にも、奥谷家や杉田家の見事な建物がある。
また、町屋を利用した医院もある。
筋の西方向にPLの塔が見えるのも富田林らしい風景である。
駆け足探索は終了である。
さて、食事としようと店を探してみた。じないまち交流館の向かいにそば屋がある。
「HT茶屋」と云う町屋の長門を改造したような店である。
さて、食事としようと店を探してみた。じないまち交流館の向かいにそば屋がある。
「HT茶屋」と云う町屋の長門を改造したような店である。
手打ち蕎麦専門店の様で、食事メニューはそれしかない。
基本となる「ざるそば」を注文し、しばらく待つこととなった。
基本となる「ざるそば」を注文し、しばらく待つこととなった。
店の中は、テーブルが6~7卓だけである。
家族連れ、2人連れ、はたまたサイクリングのグループなど、ほぼ満席であった。待つこと3分ぐらい、意外と早くざるそばが出てきた。
家族連れ、2人連れ、はたまたサイクリングのグループなど、ほぼ満席であった。待つこと3分ぐらい、意外と早くざるそばが出てきた。
白木の正方形のヘギにお椀を伏せたように半球形に纏め盛られた柔らかそうな白っぽい麺が出現である。
見た目は柔らかそうに見える。
二八そばだそうである。
見た目は柔らかそうに見える。
二八そばだそうである。
つゆ出汁は、昆布や鰹のしっかりとした醤油仕立てである。
刻み葱とワサビを溶かして、サア頂いてみよう。
刻み葱とワサビを溶かして、サア頂いてみよう。
麺はやはり柔らかい。
しかしベチャベチャべはなく、コシもある。
比較の例えであるが、普通のざるそばは讃岐うどん、一方、このざるそばは大阪うどんである。
しかしベチャベチャべはなく、コシもある。
比較の例えであるが、普通のざるそばは讃岐うどん、一方、このざるそばは大阪うどんである。
噛み応えはあまりないが、蕎麦を美味しく味わうことができる麺である。
完食したころ、サプライズのデザートが出てきた。
豆乳とくずで作られた柔らかい豆腐のようなものに、マンゴーソースがかかっている。
洋風のケーキの味わいで美味しくいただき、店を後に、駅に急いだのであった。
洋風のケーキの味わいで美味しくいただき、店を後に、駅に急いだのであった。