1
JR和歌山駅で下車した。
午前中に所用を済ましたので、昼にしようと駅前で食事処を探してみた。
午前中に所用を済ましたので、昼にしようと駅前で食事処を探してみた。
和歌山には、和歌山ラーメンというご当地ラーメンがよく知られていて、駅ナカや周辺にも店があるが、今回はパスし、他の物でとした。
駅前の東側の通りに「和歌山ちゃんぽん」の看板を掲げた店を見つけた。
和歌山ラーメンのチャンポン版かなと思ったが、そうでないのかも知れない。
店の名は「C次郎」と云う。
和歌山ラーメンのチャンポン版かなと思ったが、そうでないのかも知れない。
店の名は「C次郎」と云う。
カウンター1列とテーブル数卓の店内である。
客は6分程度の入りで、カウンターに腰掛けて、メニューを見た。
トッピングの種類で、色々なちゃんぽんがある。
このような場合は、基本となるメニューを選ぶことにしているので、「和歌山ちゃんぽん」と注文した。
このような場合は、基本となるメニューを選ぶことにしているので、「和歌山ちゃんぽん」と注文した。
注文してから、メニューに書かれた能書きを見てみた。
スープは豚骨・鶏ガラのダブルスープ、麺はもっちり太麺、化学調味料不使用、国産小麦粉100%、和歌山生まれ和歌山育ち、これらに加えて、麺をスープの鍋で煮込む独自製法、とある。
スープは豚骨・鶏ガラのダブルスープ、麺はもっちり太麺、化学調味料不使用、国産小麦粉100%、和歌山生まれ和歌山育ち、これらに加えて、麺をスープの鍋で煮込む独自製法、とある。
麺をスープで煮込むのなら時間はかかりそうである。
案の定、10分から15分ぐらいして、ちゃんぽんが出てきたのであった。
案の定、10分から15分ぐらいして、ちゃんぽんが出てきたのであった。
キャベツやもやし、刻み葱の野菜たっぷりに加え、天ぷら刻まれたかまぼこや角天のトッピングである。
さあ、頂いてみよう。
まずはスープ、一口目の感じは、京都の鶏ガラの濃厚なラーメンの味と似ている。
そして、慣れるにしたがって、今度は豚骨ラーメンかと思われるような澄んだ味へと変化した。
不思議さを感じた次第であった。
そして、慣れるにしたがって、今度は豚骨ラーメンかと思われるような澄んだ味へと変化した。
不思議さを感じた次第であった。
麺は少々の太麺であるが、煮込まれているので、スープの味がしっかりと行き渡っていて、抵抗なく食べられる麺である。
野菜類は、麺と対比してシャキシャキしているので、それなりに存在価値があるし、ヘルシー感もある。
尚、能書きによると、野菜の量は1日に必要な量の70%を入れているのだそうである。
和歌山ラーメンとは、似ても似つかない和歌山ちゃんぽんを完食し、店を後にしたのであった。
2
和歌山駅の東側は太田(おおだ)という地名である。
その太田の住宅街の一角に太田城跡という城跡碑がある。
その太田の住宅街の一角に太田城跡という城跡碑がある。
太田城は250m四方の堀に囲まれた環濠の城であった。
しかし紀州に侵攻した羽柴秀吉軍にて、根来寺、雑賀荘とともに滅ぼされた。
しかし紀州に侵攻した羽柴秀吉軍にて、根来寺、雑賀荘とともに滅ぼされた。
秀吉軍が築いた堤防の中に紀ノ川の水を引きこんだ水攻めが行われ、城方は万策尽き、太田左近以下主だったものが自害させられ開城された。
この水攻めは清水宗治の備中高松城、映画「のぼうの城」で知られる忍城の水攻めとともに日本三大水攻めと呼ばれる。
城跡碑は浄土宗来迎寺の境内にある。
この場所に本丸があったと云われている。
この場所に本丸があったと云われている。
城跡を見たので、太田城跡から西方向、海に近いところにある和歌山城を見たくなったので行ってみた。
バスで10分位の市の中心部に城はある。
バスで10分位の市の中心部に城はある。
城へは、小ぶりの一ノ橋が架かる大手門から入城する。
濠を眺めながら、小高い丘の上にある天守を目指す。
天守は太平洋戦争で空爆され、再建されたものであるが、石垣等は江戸時代のままである。
天守から、和歌山平野を望むことができる。
まずは南方向、和歌の浦から海南市方向である。海南火力発電所の煙突が目印である。
和歌の浦の先端、雑賀崎は、雑賀荘で、雑賀孫一の一族郎党の本拠地である。
和歌の浦の先端、雑賀崎は、雑賀荘で、雑賀孫一の一族郎党の本拠地である。
そして西側、紀ノ川の河口付近である。大きな製鉄所がある。
さらに北方向は向こうに大阪府との境の和泉山脈が見える。
天守を降りて、周辺を回ってみる。
まずは二ノ丸の西側である。
追廻門という朱塗りの高麗門がある。
まずは二ノ丸の西側である。
追廻門という朱塗りの高麗門がある。
そして東南側には、岡口門がある。
櫓門形式の見事な門で、重要文化財である。
櫓門形式の見事な門で、重要文化財である。
尚、これらの2つの門は、空爆を耐え凌いだ数少ない遺構である。
そして城の周囲を一周して、駅に戻ったのであった。