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 JR関西本線加茂駅で下車し、京都府と奈良県に跨る明治時代の鉄道勃興期の大仏鉄道の遺構を訪ねてみた。
 明治期には、私鉄の関西鉄道が名古屋から奈良に向け鉄道を敷設し営業した。
現在の関西本線に相当する部分であるが、京都府内の加茂駅と奈良県の奈良駅との間は、現在のように木津駅を経由せず、加茂駅から直接奈良駅へ、この間の丘陵地を越える形で線路が敷設されていて、奈良駅の手前の佐保川の縁に大仏駅が設けられたので、通称大仏鉄道と云われる。
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 しかし、丘陵地を越えてゆくことから、当時の鉄道技術では勾配に対する技術が限界に近く、9年間の営業で木津駅経由の路線に変更され、廃線になったと云う経緯を有している。
 大仏鉄道の出発点は現在のJR加茂駅である。
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加茂駅から南の奈良方向に進むが、途中までは現在の関西本線に沿っている敷地内であるので、迂回を余儀なくされる。

迂回を終わり、線路跡に近づいて見るとそこには現在の線路と平行した観音寺橋台がある。

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その先も線路跡に沿うことはできないので、再び藪の中を迂回する。
藪を抜けると、ゴルフ場の裏手に出て鹿背山(かせやま)橋台を見る。
ひっそりと佇む人気スポットだそうである。
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 線路の影は見られないが、それらしき山道を進む。
林の中を抜けるとゴルフ場の正面へと出る。
 ゴルフ場の少し奈良側に、遺構の隧道と橋台がある。
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 梶ヶ谷隧道、そして赤橋である。
現在も現役で、これらの上には線路ではなく道路が敷設されている。

この隣に、城山公園がある。別名大仏鉄道記念公園と云う。
特段何があるというのではないが、大仏鉄道の説明板が掲げられている。

ここから先は鉄道の線路跡が道路となっている。
その道路を進む。

途中、柿が色づいているのに出会ったりする。
柿の色で思い出したが、大仏鉄道の機関車は朱色、イギリス製であったそうである。

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道は下りになる。
梅谷の交差点へと出る。
この交差点には井関川が東西に流れている。
その川を渡る橋台があったと思われるが、道路建設のために埋もれてしまっている。

 この場所が加茂駅と奈良駅の中間点である。
かなりの距離を歩いた。そして時刻も昼である。
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 近くにこの辺りでは大行列で有名なラーメン屋がある。
「M鉄砲」という店である。
街中でもなく、ショッピングゾーンの近所でもなく、単なる山間の道路沿いである。
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いつの頃からか分からないが、超人気店となった店である。

 50人ぐらいの行列であった。
とにかく待ってみようと、最後尾に着いた。
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1時間くらい掛かって、やっと店内へと案内された。
入り口の券売機でメニューから醤油ラーメンを選んでいたので、座って食券を渡すだけで、待つことになった。

 厨房を10席くらいのL字型のカウンターで囲み、他にもテーブルが2つぐらいか?、建物は大きいが席は意外と少ない店である。
これなら行列は必至であるし、その行列が客を呼ぶという仕掛けであろうか?
 10分ぐらいして醤油ラーメンが出てきた。
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スープは醤油色で澄んでいるが、背脂はタップリと散りばめられている。
具は、チャーシュー、メンマ、刻み葱、そして海苔とナルトである。
麺は中太の若干黄色いストレート麺である。

 さて、頂いてみよう。
意外とスープは濃厚である。しかし辛いのではない。
麺にスープが良く浸食している。
トータルとしては、美味い背脂醤油ラーメンであった。
 周りを見てみると、殆ど豚骨ラーメンを食べている。
豚骨はどんな味がするのであろうか? また来てみようと思い、店を後にしたのであった。
 さて、大仏鉄道、あと半分を残している。
あとの半分は、ニュータウンや昔からの住宅街である。

先ずは松谷川隧道、奈良市から来ているやすらぎの道の下である。

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 そのやすらぎの道を奈良市へと進むと、黒髪山のピークへ出る。
この場所にはトンネルがあったが、道路工事で切通しとされている。
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 ここからは、奈良市のスポーツ公園を降りてゆく。
そして住宅街の中を進むと、大仏駅跡へと到着する。
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 佐保川を渡り、船橋商店街の中を進み、阪奈道路を渡ると、大仏鉄道の終着駅の現JR奈良駅へと到着し、大仏鉄道遺構のミニ旅は終了した。
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