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 大阪府の政令指定都市の堺市を通り抜ける南海電車高野線が、これも堺市を通り抜けるJR阪和線と交差するところに、三国ヶ丘と云う駅がある。
この三国ヶ丘と云う名称は、大阪を構成するかつての国、摂津国、河内国、和泉国という三国の境界にあり、三国を見渡すことができるということから名付けられたものである。
また、堺市の堺も同様で、この三国の境であるとの名付けである。
 三国ヶ丘で途中下車し、改札を出たところには幾つかの駅ナカの店がある。
ここで昼食をと、周りを詳しく見てみた。
先ずは立ち食いそばの店が目についたが、その隣にラーメンの店があった。
店は「S・S・R]と云い、「龍旗信」のプロデュースの店と記されている。
良くは分からないまま行ってみることにした。
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龍旗信とは店名で、堺市を本店に塩ラーメンをメインにチェーン展開をする店だそうである。
本格的なラーメンが食べられるのか、との期待が膨らむ。
駅ナカの食券制の店であるので、値段はそれなりに安いかと思ったがそうではなく、街中の本格店と同様、あるいはそれ以上の値付けである。
 入口の券売機で基本となる「雨風熟成醤油ラーメン」を選んで、入店した。
カウンターも含め、20席位の店である。
昼時であるが先客は2名、店員嬢から「どちらでも、お好きな席へどうぞ」と云われ、店隅のテーブルに着き、食券を渡した。
そうこうしているうちに、客は次々と、料理待ちの間に、半分ぐらいは埋まってしまったのであった。
 5分くらいしてラーメンが出てきた。
小振りの麺鉢に醤油色の濃い半透明のスープ、麺は細目、そしてチャーシューが1枚乗っている。
後は、メンマ、板海苔、少量の刻みネギと三つ葉、細かい脂の玉が浮いているので、鶏出汁であろう。
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 さあ、頂いてみよう。
 先ずはスープ。
1口目は少々の辛さを感じたが、2口目には今度は少しの甘さとまろやかさを感じるようになった。
不思議な味である。
次に麺、どちらかと云うと細目の平麺である。
細いのでスープが良く染み込んでいるが、シャキッとしていて美味い麺である。
 チャーシューは厚目である。そして軟らかく仕上がっている。
これはこれで美味い。
 スープ、麺、チャーシューの3者の比較では、スープに軍配が上がる。
醤油が良くできているのであろうと思われる。
 この醤油は「雨風醤油」と云う。
堺市内の醸造元「麹屋雨風」の醤油である。
 雨風の名付けは、雨が降っても風が吹いても商いを休むことがなかったことから「雨風屋さん」と呼ばれていたのを商号にしたとのことである。
 創業は元禄年間と云うから、300年以上も前である。
歴史の味を感じながら、ラーメンを美味しく頂いたのであった。
 また、後で調べてみると、このラーメン店は、隣の立ち食いそばと同様に南海駅の駅ナカで事業展開をする南海商事グループが経営しているとのことで、ラーメン店としてはあまり見られないスタイルのものでもある。
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 三国ヶ丘と云えば、仁徳天皇陵の北端に位置する。
仁徳陵は最近では大仙陵古墳と云われ、仁徳陵に比定されている我が国最大の古墳である。
 世界三大墳墓と云うのがある。この仁徳陵と中国の秦の始皇帝陵、そしてエジプトのクフ王のピラミッドである。
その中で仁徳陵は墳墓の全長が486mで最大である。
また濠などを含めると840mで、このような墳墓は他にはない。
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 仁徳陵の外濠に沿って遊歩道が設置されているので、南方向の前方部の拝所まで歩いてみる。
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拝所まで行くと、流石に最大古墳、かなりの大きさを感じる。
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電車の駅では百舌鳥(もず)駅までの1駅間である。

 拝所に堺市観光ボランティアの方が居て話しかけられた。
「世界遺産登録はどうですか?」と聞いてみた。
「古市古墳群と合わせて、奮闘中です」との答え、さて上手く登録となるのかどうか? 興味の持たれるところである。
 仁徳陵の南側は大仙公園と云う。
この公園の中にも幾つかの古墳がある。
最も仁徳陵に近いのは孫太夫山古墳である。
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古墳の濠では、アオサギやシラサギが餌を啄んでいるのが、なんとも言えないのどかな風景である。

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 公園の中には博物館がある。
その博物館へ向かう通路に、堺の有名人である茶聖の千利休の像が置かれている。
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またその対角に利休の師である武野紹鴎の像も置かれている。
中世の堺は堺商人の財力で茶の文化を育てた証としてである。

 公園と仁徳陵との間の道路に戻る。
そこには白い像が立っている。
よく見てみると仁徳天皇と鹿、そして百舌鳥の像である。
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 日本書紀には、仁徳天皇が御陵を造営しようとした時、鹿が野の中から走り出て倒れ、その耳から百舌鳥が飛び去ったので、この地を百舌鳥耳原と呼ぶようになったとの神話の世界が説明されている。

いずれにせよ堺市は、古墳時代の古代から、戦国時代の中世、そして近代を、歴史と共に生き抜いてきた町であることが語られている所である。