1
 京都市で開催される全国高校男子駅伝大会や都道府県対抗女子駅伝のコースは、鴨川を渡り左京区に入ると京都大学のキャンパスの間を北上し、「百万遍」という交差点を右折、更に京大のキャンパスの間の今出川通りを東へと進み、銀閣寺道の交差点へと向かう。
 この百万遍という名前の由来は何なのか、最も近い京阪電車の出町柳駅で下車し、徒歩で百万遍へと向かった。
柳月堂という昔からの名曲喫茶の前を過ぎ、街中の通りを進む。
 右手に生垣と土塀に囲まれた大きな屋敷がある。
「清風荘」と云うかつては西園寺公望公の別邸だったところで、現在は京都大学の所有するところである。
イメージ 1

非公開なので入れないが、内部の建物は数寄屋造りで、重要文化財に指定されているとのことである。

 更に進むと百万遍の交差点に出る筈であるが、少し寄り道をしてみる。
西園寺邸の東の通りは鞠小路と云う。
この通りを少し北上してみると「京菓子舗MG」の本店がある。
阿闍梨餅(あじゃりもち)で知られている店である。
イメージ 2
 このMGは江戸末期に賀茂川の出町橋の近くで創業したが、幕末の争乱を避けて一旦撤収、明治になって再び出店したと云われる。
そして大正期に2代目が阿闍梨餅を開発し、評判を得ることになった。
 戦時中の強制疎開で現在地に移り、そのままこの地で暖簾を守り続けていると云う老舗である。
また店舗は、支店や主にデパートなどの販売店合わせて全国に30店ほどあり、手広く商売している。
 阿闍梨とは、仏教に関する用語で、高僧を意味する梵語である。
阿闍梨餅とは、天台宗比叡山で千日回峰修業を行なう阿闍梨が被る網代笠を象ったもので、厳しい修業中に餅を食べて飢えをしのいだことにちなんだと云うことからの名付けである。
 阿闍梨餅は、餅米をベースにして、氷砂糖や卵などのさまざまな素材を練り合わせた生地と、丹波大納言小豆の粒餡を包んで焼いた半生菓子で、しっとりとした皮とあっさり風味の餡で構成されている。
 店の前まで来たので、折角だからと店に寄り、順番待ちをして、阿闍梨餅を数個購入した。
後ほど頂いてみよう。

MGの裏手の通りは東大路通りである。
少し南下して百万遍の交差点へと出る。

イメージ 3

対面には京都大学の建物が見える。

                2
 交差点を東へ渡ると、今出川通りに面して「百萬遍念仏根本道場」の石柱と寺門がある。
イメージ 4
 この百萬遍念が百万遍の由来でありそうである。
この寺は知恩寺と云う浄土宗の大本山である。
浄土宗の総本山は知恩院とされているが、大本山と云う寺院が東京の増上寺、京都の金戒光明寺、この知恩寺、そして京都の清浄華院(しょうじょうけいん)、福岡久留米の善導寺(ぜんどうじ)、善光寺大本願(ぜんこうじだいほんがん)があり、知恩寺はその1つである。
 知恩寺はなぜ百萬遍と云われるのであろうか?
後醍醐天皇の世に京都に疫病が蔓延したことがある。
その時、この寺の空圓上人が天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が天皇から下賜されたことによるものである。
 また知恩寺とは、浄土宗の開祖である法然上人が下鴨神社の神職から招かれ、たびたび訪れた下鴨神社の神宮寺の「功徳院」を、法然上人の弟子であった源智上人が、師の恩徳を偲び「知恩寺」としたものである。
寺当初は、現在の相国寺の場所にあったが、その後移動して、江戸時代に最終的に現在の場所に落ち着いたものである。
 知恩寺の境内を歩いてみると、寺門の正面には法然上人を祀る御影堂など、幾つかの堂宇がある。
周辺には塔頭も幾つかあり、大きな寺院であることがわかる。
イメージ 5
 また本堂である御影堂の裏手には庫裏があり、この寺を支えている僧たちの生活の場所である。
イメージ 6
 念仏百萬遍が百万遍の交差点の由来であることが分かったので、今回の探索は終了である。
 さて持ち帰った阿闍梨餅を頂くことにする。

イメージ 7

外側の包み生地の部分は、かなりなシットリ感である。
この種類の餡餅の種類では、柔らかい皮の1つであろう。

 餡は粒餡である。
甘くは無い。自然な甘さと云うべきであろう。
 トータルとして上品な味で抵抗感はなく、何個でも食べられそうである。
 これなら、京都だけでなく、全国的にファンがあると云うのは分かるような気がする阿闍梨餅である。