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かつて「SJ坊」と云うそば屋で味わった「葉わさびそば」が美味かったので、今回もそれを食べてみようと、SJ坊がモール内にある大阪地下鉄の「北花田駅」で途中下車し、そのモールに向かった。
階上の4階か5階にその店はあった。
入店すると、すぐさま店員嬢に入り口の席を案内されたので、どれくらいの席があるかは分からないが、結構大きな店のようである。
入店すると、すぐさま店員嬢に入り口の席を案内されたので、どれくらいの席があるかは分からないが、結構大きな店のようである。
注文はもちろん「葉わさびそば」、しばらく待つことになるが、その時間待ちの口慰みとして、蕎麦の揚げつまみが出された。
ボリボリ食べているうちに、葉わさびそばが出てきた。
ボリボリ食べているうちに、葉わさびそばが出てきた。
トッピングはわさびの葉は勿論のこと、白髪ねぎ、山菜、三つ葉である。
出汁は醤油であるが、澄んだ色である。
出汁は醤油であるが、澄んだ色である。
さあ頂いてみよう。
先ずは出汁、云うまでもなく山葵の香りがほのかにする。
おろし山葵が小皿で添えられているので、それもそばに入れると適度な辛さになり、望む辛さの山葵味となった。
おろし山葵が小皿で添えられているので、それもそばに入れると適度な辛さになり、望む辛さの山葵味となった。
蕎麦麺は黒くもなく、パサパサでもなく、正しく信州そばという感じではある。
一気に最後まで頂き、満足したのであった。
しかしながら残念ではあるが、このSJ坊の店の創立の経緯は分からない。
大阪本社の麺の外食産業で、日本全国に店舗展開をしている手打ちうどんの杵屋の傘下グループ店であることから、どうなのであろうか?。
しかしながら食を極めた大阪の店、やはり美味いもののツボを押さえているという実感である。
大阪本社の麺の外食産業で、日本全国に店舗展開をしている手打ちうどんの杵屋の傘下グループ店であることから、どうなのであろうか?。
しかしながら食を極めた大阪の店、やはり美味いもののツボを押さえているという実感である。
さて、北花田と云うところであるが、大阪市営地下鉄の御堂筋線の南部、大和川の南部の堺市北区の駅である。
北花田と云う地名は、かつてこの辺りは花が一面に咲いていたとのことからの名付である。
その花は菜の黄色い花、菜種油を絞る植物のものである。
南花田という地もこの南にある。
その花は菜の黄色い花、菜種油を絞る植物のものである。
南花田という地もこの南にある。
2
この花田の西に花田口と云う地名がある。
南海高野線の堺東駅の辺りの堺市の中心地域である。
かつても今も、そこから長尾街道、そして別れて花田街道を辿って行けば、花園へと行けるのである。
南海高野線の堺東駅の辺りの堺市の中心地域である。
かつても今も、そこから長尾街道、そして別れて花田街道を辿って行けば、花園へと行けるのである。
さて、北花田の今を見てみよう。
北花田駅の南、花田街道との間に華表神社が鎮座する。
花田街道をその参道入り口とする。
参道を進むと華表神社の社頭の標柱、鳥居に到着する。
華表神社は、神功皇后が三韓征伐から帰った時、素戔嗚命を祀ったのが創建である。
その後、嵯峨天皇の時、五穀豊穣を願い宇賀之御魂命を奉斎し、後醍醐天皇の時に山城国男山若宮八幡を勧請、譽田別命を奉斎し、勅願所となったと云われる。
その後、嵯峨天皇の時、五穀豊穣を願い宇賀之御魂命を奉斎し、後醍醐天皇の時に山城国男山若宮八幡を勧請、譽田別命を奉斎し、勅願所となったと云われる。
当時は、東光山薬師寺と云う神宮寺があり、七僧坊の陣容であったが、織田信長から供料が没収されたため、衰微したと云われる。
明治の神仏分離にて寺は廃絶したが、明治の後半、神社は近隣の社の数社を合祀したとの経緯を有している。
神社への参道の始点には寺院がある。
善光山愛染院と云う現在は真言宗の寺院である。
善光山愛染院と云う現在は真言宗の寺院である。
北花田の周辺は、住宅街の連続で、菜の花畑は見られないが、かつての雰囲気を少しは味わうことができたのであった。