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 小雪の降る中、新青森からの電車が弘前駅に到着した。
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既に昼時となっていたので、駅前で食事処を探した。
弘前市の中心街は、土手町という駅と弘前城との間にある所なので、残念ながら駅前はそう賑やかではない。

駅前ロータリーの1本西側の通りに、「R華亭」というラーメン店があった。
他には店がなさそうなので、ここで津軽ラーメン味わってみようと入ってみた。

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 今までの経験では、青森のラーメンと云えば、濃厚な煮干しと醤油のラーメンと記憶している。
この店にも期待は高まる。
 カウンター10席とテーブル4~5卓の細長い店である。
カウンターの隅に腰掛けて、店員嬢に「醤油ラーメン」と注文したのであった。
 待つこと、10分位か?
客はそう多くは無かったが、先客から順番に料理が出てくるため、思いのほか時間が掛かった。
醤油ラーメンが目の前に届けられた。
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見た感じは濃厚そうなスープである。
具は分厚いチャーシュー、細かい刻み青ネギ、それにメンマと煮卵である。
 さあ、頂いてみよう。
 先ずはスープ、醤油の色で濃厚には見えるが、味わってみると意外とアッサリ系で、煮干しの香り若干感じる味わいである。
麺はと云えば、極細の縮れ麺でスープと良く絡む。
 以前、関西で頂いた青森の煮干しラーメンは結構な濃厚な具合であったが、今回はそうでもなく、爽やかに完食したのであった。
 昼食を終え、駅へと戻り、100円バスという市街地循環バスに乗り、所用先へ向かったのであった。

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用を済まし、暗くなるまでにはまだ時間がありそうなので、名所の見物としてみよう。
先回の見物では、弘前城とその北側であったので、今回は南側である。

 弘前城は高台にあり、その西側(岩木山方向)は崖となった自然の要害である。
その崖が南へ続く辺りに、弘前天満宮がある。
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 弘前天満宮は崖の上であるので、西半分の弘前市街と岩木山が良く見える。
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しかし山頂付近に雲が掛かっていたのは、少し残念であるが、また趣のあるものである。

 かつてこの地は、弘前藩初代藩主の津軽為信が大行院栄尊を招き、開基したといわれる「大行院」という修験の寺院があった所と云われている。
 明治になって修験廃止令が出され、「大行院」も廃寺となったので、橋雲寺から天満宮をこの場所に遷宮し、天満宮と称するようになったと云う経緯があるとのことである。
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本殿の祭神は、菅原道真公と文殊菩薩である。
学問の神と知恵の菩薩が同時に祀られていて、ご利益は倍以上になるのであろう。

境内は広く、多くの石碑や句碑が建てられている。
その中に「芭蕉翁」と彫られたのがある。
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芭蕉は1688年春、「笈の小文」の旅の途上で「しばらくは花の上なる月夜哉」を詠んだとのことである。

天満宮はこれくらいにして、次は東南方向へと向かう。

弘前大学医学部病院の傍を通り少し行くと、高台に最勝院という寺と隣接して八坂神社がある。
先ずは最勝院である。
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 寺門の脇に一対の狛兎が祀られている。
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津軽では古くから、十二支を津軽一代様本尊として信仰を集めているとのことであり、この兎は文殊菩薩にかかわるもので、ここ最勝院は卯年一代様の霊場である。

 寺門を潜ると、重要文化財の日本最北の五重塔が建っている。
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見事な姿である。

 また境内も結構広く、沢山の堂宇が祀られている。
この最勝院は、弘前八幡宮の別当寺であった。
元々この場所には大円寺と云う寺院があったが、明治の廃仏毀釈の影響を受け、寺院は大鰐町へと転出したため、その跡に移動してきたとの経過を辿っている。
 隣には、大きな鳥居の八坂神社が鎮座している。
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この神社は、もともと大円寺境内にて牛頭天王を祀る社であったが、廃仏毀釈により神社として独立し、現在は須佐之男命、奇稲田姫命、草野姫命、菅原道真公を祀っている。

 この八坂神社の境内から、鳥居を通して五重塔が望めるのも、かつての神仏習合の賜物であろうか。
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