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 青森県弘前市に用があり、JR弘前駅に向かい到着した。

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先ずは昼食である。
時間もあまりないので、駅の構内の食事処を探すことにした。
2階改札口から階段を降りたところにそば屋がある。
そば処「KGN」の屋号である。

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 店の表のメニュ―写真を見て、とりあえず山菜そばでもと思い、券売機の所へ行ってみた。
山菜そばを探しているとそこに「幻の津軽(かけ)そば」という押しボタンを見つけた。
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 この地方独特のそばであろう。
迷わずそのボタンを押し、食券を持って店内に入ったのであった。
店内はカウンターばかりで、客もチラホラであった。
厨房カウンターにて店員嬢に食券を渡し、客席カウンターに腰を掛けて暫く待つことになった。
 2~3分して呼ばれたので、そばを受け取りに行った。
刻み葱が乗せられただけのかけそばである。
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 さあ、頂いてみよう。
先ずは出汁、少し塩分きつめの魚介醤油味である。
ピリッと刺すような味わいであるが、これもこの地方特有のものであろうか?
 次にそば麺、柔らかくて食べ易い。
 しかしパサパサしているわけではなく緩やかで、喉越しも良い。
どちらかというと、関西風のうどんのような感じである。
 しかし、そばにうるさい人なら、そばの香りがしないとかコシが無いとか、ゴツゴツしたそばが好きな方には不満であろうが、それは個人の好みの問題である。

 以前岩手や青森駅でそばを食べたとき、ポロポロと切れるような経験があったが、そのようなこともなく、美味しく津軽そばを頂いたのであった。

津軽そばの特徴をネットで調べてみた。
大豆をすりつぶした呉汁(ごじる)をつなぎに使うとのことである。
その理由は、コメが食べられない庶民は普段からそばを食べる習慣があったが、そばだけでは栄養が偏ってしまうため、タンパク質の豊富な大豆を使うとの製法が生まれたと云われている。

 即ち、一昼夜、水に浸しておいた大豆を丹念にすりつぶし、その呉汁をそばがきに混ぜ合わせて生地を作り、その生地を半日ほど寝かせて熟成し、それからそばを打つとのことである。
こうすると、柔らかくてコシがあり、そしてモチモチ感たっぷりのそばが出来上がるとのことであった。
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 そばはこれくらいにして、目的の場所へ急いだ。
駅前から100円バスが市内の主要な場所を、15分間隔で巡回しているので便利である。
そして用を済ませてから、その後の時間を利用して、行ってみたかった弘前城を訪れて見た。
 弘前城は江戸時代、弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、初代津軽為信公が鷹岡に築城を開始し、2代目の信牧公が完成させ、当初は鷹岡城と云われた。
 弘前と云う名は、江戸幕府重鎮の天海大僧正が名付けたという。
以後鷹岡城も弘前城と改名され、現在に至っている一貫して城主が津軽氏の城である。
そして、天守を含め現存する9棟が重要文化財に指定されてもいる。
特に城内の桜は有名で全国的に知られ、また岩木山とのコントラストも素晴らしいと云われている。
 弘前城の城域は南北に細長い。
南の外濠を渡ったところが追手門である。
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 追手門を潜り、三ノ丸から繋がる広場を進むと、中濠に架かる杉の大橋を渡り、南内門を潜ると二ノ丸跡である。
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二ノ丸跡を北へと進むと途中左手の内濠に朱塗りの下乗橋が架かっている。
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右手の石垣を眺めて見ると、中ほどが少し膨らんでいる。

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 この石垣の左の角の上に天守が建っているのが通常の弘前城であるが、石垣倒壊の恐れがあるため、修理を行うとのことで、天守は本丸跡に曳屋(ひきや)されて安置されている。
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 本丸広場から西方向に岩木山が望める筈である。
濠のそばまで行ってみた。
 しかし残念ながら雲が覆っていて、肝心の頂上付近は見ることができなかった。
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天守・本丸跡を後にして北へ向かい、内濠に架かる鷹丘橋を渡ると北の郭跡である。
そこから東へ道を取り、二ノ丸、三ノ丸を抜けて城外へ退出した。
出たところの弘前文化センター前に、弘前藩初代津軽為信公の銅像が建てられている。
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 この像は、かつては城内にあったが、太平洋戦争の金属供出で無くなったが、この場所に再建されたものである。