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大阪市営地下鉄御堂筋線の南の終点「中百舌鳥(なかもず)駅」の一つ手前に「新金岡駅」がある。
今回はこの駅で下車し、周辺を訪ねて見ることにした。
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 新金岡駅は堺市の北区役所の近くに設けられた駅で、周辺はビルや団地、公園などがある都会地である。
この駅から南へ少し下がったところには、古代の街道「竹内街道」が通っている。
竹内街道は、奈良の飛鳥と難波の港を結ぶ道で、飛鳥時代に造られた我が国最初の官道、言い換えると国道1号線である。

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この道は飛鳥の都から海を渡り海外へ行く場合に利用された。
すなわち、遣隋使などの海上交通を利用する時の往復道であった。

 堺市の大小路から出発した竹内街道は、仁徳天皇陵の北で西高野街道を分岐しを、東へと進むと金岡神社の境内横を通過する。
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金岡神社の創建は、この街道よりも新しく、平安時代の前期と云われている。
当初は、民の安穏、五穀豊穣を願い住吉三神(底筒男命 中筒男命 表筒男命)を祀ったとされる。

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 そして、この辺りに住んでいた河内絵師達の最高位を占める宮廷画家「巨勢金岡(こせのかなおか)」をも祀り、神社名も地名も金岡となったとされている。
巨勢金岡は、京の都にても活躍した。
宮廷の神泉苑を監修したり、また当時の官僚であった菅原道真や紀長谷雄などの知識人とも親交を結んだと云われる。
 金岡は唐絵の影響を脱して、日本画大和絵の様式を確立させた功労者とされているが、その作品は残っていないとのことでもある。
金岡の子孫は、後世「巨勢派」と称される画家集団を形成し、宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮したと云われている。
 神社はその後、近隣の神社も合祀し、現在の祭神は、住吉三神、素盞嗚尊、大山咋神(おおやまくいのかみ)、巨勢金岡である。
そして境内社には稲荷社を始め、幾つかの社が祀られている金岡神社である。
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 金岡神社を後に、昼食処の探索である。
駅まで戻り、今度は神社と反対側へと歩いてみる。
 駅の反対側(西北側)は大きな団地である。
そしてその西側には大きな公園がある。
「金岡公園」と云い、公園の中には、体育施設の陸上競技場、野球場、テニスコート、体育館、屋外プールなどがある。
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 この金岡公園の北側には竹内街道の北の古代の道である長尾街道が通っている。
長尾街道は大小路の北の堺戎之町で別れ、東へ向かう道である。
この街道は、堺の起源の三国の分岐点に鎮座する式内社の方違(ほうちがい)神社前を通過、JR堺市駅、金岡公園の北側、そして松原市、藤井寺市、柏原市を通過し、更に奈良へと越え、香芝市を通過、そして葛城市で竹内街道を合流する。
 金岡公園の少し東で、団地群の北の道路を挟んで「SGK」という店がある。
焼きそばと餃子が主体の店である。
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この辺りが探索の限界と、店に入ってみた。

 店内は10席ぐらいのカウンターとテーブルが4~5脚の構成である。
昼時であるので、仕事人、地元の人、ほぼ満席であったが、上手い具合にカウンターに座れたのであった。
 さて、注文である。
メニューを見ると、トップに焼きそば、そしてラーメン、餃子、これだけしかない。
店のお薦めの星印が付けられているのは焼きそばと餃子の2品だけ。
星印を頼んでみないと、と焼きそばの「広東風焼きそば」と「餃子」を注文した。
値段も結構安い。
両方合わせても700円である。
 カウンターの中ではご主人であろうが、一人で忙しく料理を作っている。
順番なので、中々回ってこないかな? と思い待った。
 10分ぐらいして、先ずは餃子が出てきた。
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餃子は、味噌だれと酢醤油だれが用意されている。
お薦めは味噌だれとのことである。

 両方のたれで味わってみたが、特段にどうだと云うことは無い。
食べている間に、本命の広東風焼きそばが出てきた。
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 見た感じ中華麺を炒めてその上にトロミのある八宝菜を掛けたようなものである。
いわゆる餡かけ焼きそばが広東風なのであろうか。
しかし具は細目に刻まれているので、麺との絡みが良い。
麺を掴むと、具が付いてくるという感覚である。
という実感で、美味しく最後まで頂いたのであった。
 周りを見回してみても、新たに入店した客も、皆さん焼きそば派である。
ラーメンの声は聞こえてこない。
 なるほどなるほど、焼きそば目当てで客が通う店であったことを認識し、店を後にしたのであった。