1
大阪市中央卸売市場の本場と東部市場で食事処を見付け、それぞれ昼ご飯を頂くことができたので、今度は京都市の中央卸売市場でも同じような食事処があるのかどうか、訪れてみた。
京都市中央卸売市場第一市場へはJR山陰線を利用するのが便利である。
京都駅を発した山陰線は、西へ進み、右手に水族館を見て、リニューアルオープンされた鉄道博物館の所で大きく右へカーブし、今度はかつての平安京の朱雀大路であった現在の千本通に沿って高架で北上する。
北上を始めると先ずは左側に、そして直ぐに両側に中央市場の上部を通り抜け、市場北端の「丹波口駅」へと至る。
この丹波口駅が最寄りである。
駅の東の千本通側は、市場の裏に当たるので、輸送トラックなどの出入り口があるのみである。
西の新千本通は市場関係の車両が忙しく行き交う通りであり、一般人が通れるような道ではない。
駅の東の千本通側は、市場の裏に当たるので、輸送トラックなどの出入り口があるのみである。
西の新千本通は市場関係の車両が忙しく行き交う通りであり、一般人が通れるような道ではない。
そこでもう一本西の道路へと迂回し、南へ進んでみた。
この道は一般人も歩いている。民家もあったりするが、やはり市場関係の商店などが多い。暫く行くと「関連○○号棟」と云うのが東西にいくつか並んでいる場所に出る。
この道は一般人も歩いている。民家もあったりするが、やはり市場関係の商店などが多い。暫く行くと「関連○○号棟」と云うのが東西にいくつか並んでいる場所に出る。
関連棟の中の通路を歩いてみると、和食、喫茶、イタリアン、ラーメン、うどん、その他の店が10店ほど設けられている。
その中の12号棟に「K来」という、京都では知られた宝屋系のラーメン店の支店があった。
そして注文はラーメンとしたが、注文してからメニュ―写真をもう一度眺めて見ると、チャーシュー麺が豪華にに見えた。
「変えられますか?」「大丈夫です」のやり取りで変更したのであった。
「変えられますか?」「大丈夫です」のやり取りで変更したのであった。
5分ぐらいしてチャーシュー麺が出てきた。
メニューの写真通りである。
メニューの写真通りである。
さて、頂いてみよう。
先ずはスープ、豚骨・鶏ガラ・魚系を合わせたような醤油味である。
背脂とのマッチングも良く、優しい味わいである。麺は熟成細麺、好きな麺ではないが、それはそれでスープとよく合うので問題はない。
そしてチャーシュー、薄いので食べ応えはあまりない。
それでもスープと絡めると、適度な味わいとなる。
先ずはスープ、豚骨・鶏ガラ・魚系を合わせたような醤油味である。
背脂とのマッチングも良く、優しい味わいである。麺は熟成細麺、好きな麺ではないが、それはそれでスープとよく合うので問題はない。
そしてチャーシュー、薄いので食べ応えはあまりない。
それでもスープと絡めると、適度な味わいとなる。
トータルとして、美味いラーメンであることは間違いない。
久しぶりに宝屋系ラーメンを味わったことに満足し、店を後にしたのであった。
久しぶりに宝屋系ラーメンを味わったことに満足し、店を後にしたのであった。
2
さて、食事の後は少々の見物である。
市場の東側に、我が国最初の公許遊廊「嶋原」があるので、それを探査してみることにした。
市場の東側に、我が国最初の公許遊廊「嶋原」があるので、それを探査してみることにした。
市場は横切れないので、南の七条通を回って東側へ行かないといけない。
七条通の角には市場の大きな事務棟がある。
通りを東へと進み、千本通やほかの通りをやり過ごして適当に小路を北上すると、嶋原大門の辺りに出る。
大門を潜り石畳の道を右手に取ると、唯一現在も商売を続けているお茶屋の「輪違屋(わちがいや)」がある。
元の石畳に戻り、奥へと行った左には「角屋(すみや)」がある。
角屋は嶋原最大の揚屋であり、江戸時代に嶋原が開設して以来現存する唯一の遺構で、国の重要文化財に指定されている。
角屋は嶋原最大の揚屋であり、江戸時代に嶋原が開設して以来現存する唯一の遺構で、国の重要文化財に指定されている。
嶋原では江戸中期に俳諧が流行した。
角屋当主は与謝蕪村を師とし仰ぎ、角屋に招いている。
角屋当主は与謝蕪村を師とし仰ぎ、角屋に招いている。
更に幕末には、久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、また新選組もここでの遊興を楽しんだと云われている。
新選組の壬生(みぶ)の屯所は嶋原の北方向で近いところにあり、手ごろな場所であったのであろうか。
新選組の壬生(みぶ)の屯所は嶋原の北方向で近いところにあり、手ごろな場所であったのであろうか。
特に芹沢鴨との関わり合いは深いようで、芹沢らがこの角屋で暴挙をはたらいた時にできた刀傷が今でも残っている。
角屋の塀に沿って北へ行くとそこには住吉神社が祀られている。
嶋原を駆け足で探査して、市場の塀に沿う千本通を北へと歩き、丹波口駅へと戻ったのであった。