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 大阪地下鉄の四つ橋線の終点「住之江公園駅」は、その駅から南港地区へ向かうニュートラムの乗換駅にもなっている。
今回はこの駅で途中下車し、昼食処を探してみることにした。
 住之江公園駅を地上に上がると、そこは東西の住之江通りと南北の新なにわ筋との交差点である。
新なにわ筋の両側には、メジャーなファミレスなどチェーン店が並んでいる。
これらの店では面白くないので、それらの店を眺めながら、南の大和川方向へ歩いてみることにした。
 大和川までの間に、これは行って見ないと! と云う店が見つかった。
しかしまだ暖簾は下がっていない。
それならと云うことで、大和川まで行って時間潰しをすることにした。
 大和川の向こうは堺市である。
その境界に架かっている橋は、阪堺大橋と云う。
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橋の上から見ると、川の水面に砂が積み上がっているところが見える。
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上流からの土砂が流れてきて、固まったものと思われるが、それなりに趣がある。

 堤防の上を歩いたりして時間を潰して、先ほどの店前へと戻る。

暖簾は下がっていた。
店の名は「TT,有」と云う。

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京都一乗寺のラーメン街道にある超有名店とよく似たりである。

 早速、暖簾を潜ってみた。
カウンター12、3席の店であるが、既に満員である。
中待ちの椅子に腰掛け、しばらく待つことになった。
 10分ほど待って、やっと席が空いた。
腰を掛けて注文であるが、ラーメンかチャーシュー麺、後は餃子とライスの中からの選択である。
ラーメンを食べたかったので、基本であるラーメンを注文したのであった。
 待つこと10分位か?
ラーメンがカウンターの向こう側から出てきた。
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 器は昔懐かしラーメン鉢。
トッピングは、大きなチャーシューが3枚、メンマ、そして刻み葱である。さあ、頂いてみよう。
先ずはスープ、鶏ガラ醤油であるが、年季が入っている味で、鶏の臭みは全くカット、京都ラーメンの神髄のような味で美味い。

 次に麺、黄色がかったストレートの中太麺、コシのような主張はなく、スープとの相性は良い。
チャーシューは少々固め、ハムのような味わいがあり、食べ応えがある。最近は濃厚こってりのラーメンが多いが、このラーメンは原点とも云えるものであり、納得した次第である。
カウンターには、大阪のラーメン屋ではよく見られるニラキムチがあったので、投入すると味の変化味わえる。

 尚、聞いた話では、この住之江の「TT,有」は、京都の店の弟さんがやっていて、またこの住之江の娘さんが福岡で「TT,有」と云う店を開いているとのことである。
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 折角、大和川まで来たので、江戸時代の元禄の頃に付け替えられた川に纏わる近くの神社を訪ねて見ることにする。
 先ずは、「TT,有」の南の大和川の堤防下に鎮座する高崎神社である。
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 高崎神社は大和川の付け替えにより、河口付近にできた浅瀬を新田として開拓した加賀屋甚兵衛が、洪水などで新田工事が中断されるので神の加護を願い、出身の河内国石川郡から天之水分(あめのみくまり)大神を勧請して創建したものである。
そしてその後、天照皇大神、柿本人丸大神を祀り、現在の祭神となっている。
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 新田開拓当時は海に面した新田の先端に祀られていたとのことで、江戸末期に隣の高砂神社の焼失後、この場所、即ち加賀屋新田会所の近くに遷座されたと云われている神社である。
 付近には、建築は新しいものであるが、その当時の景観を思い起こさせる町家も見られる。
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 その高崎神社の東の堤防下に上記の「高砂神社」が鎮座する。
この神社の創建も大和川の付け替えに関係が深い神社である。
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 大和川の河口の住之江浦に土砂が堆積して浅瀬を形成するようになった。
大坂淡路町の両替商加賀屋甚兵衛の新田開拓が一段落を見た時、その新田の鎮守として、砂が堆積した高台に天之水分大神を勧請して高砂神社が創建されたのである。
 高砂神社と云うからには、兵庫高砂市の高砂神社と関係あるのであろうか?
御朱印を頂いた神官の方に聞いてみたが、「関係ありません」とのことであった。
 神社名は、謡曲「高砂」の「はや住之江に着にけり」に因み、名付けられたとのことである。
そしてその後、天保年間に住吉大神を勧請し、現在の姿となっている。
 鳥居を潜ると一段と高い瑞垣の中に本殿が祀られている。
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祭神は、天水分大神、住吉大神、柿本人麻呂神である。

 尚、高崎神社、高砂神社の関係はどうかと云うと、それぞれの神社の主張があり、断定はできないが、
現在はそれぞれの神社としての機能を果たしている。
 神社から大和川へ近づくと、頭上に堤防を見上げることができる。
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