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 JR東西線の大阪天満宮駅は地下駅である。
地上へ出ると、全国一の長い南北の天神橋筋商店街と東西に走る国道1号線との交差点である。
この辺りの国道1号線は「曽根崎通」と云う愛称で、途中からは国道2号線となるが、京橋からずっと西の野田までの大阪市内の北部を通り抜けている。
 この交差点から東、京橋方向へ行くと大川の手前に右手に造幣局がある。
シーズンには桜の通り抜けで賑わうところである。
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 造幣局の手前の西側は官舎が立ち並ぶ。
そしてこの官舎の辺りは、歴史的に江戸時代の終盤、大塩平八郎の乱が勃発した場所でもある。
造幣局の案内看板があるので、それに従って、周辺を眺めて見ることにする。
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 この官舎一帯は、江戸時代奉行所の与力宅が集合している所であった。
覗いて見ると、中嶋家という与力宅が、移築修復され現存している。
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 大塩平八郎も与力であったので、この場所の裏辺りに居宅があった。
 しかし与力を引退し、私塾「洗心洞」を開設していたので、数十人の塾生もいたところである。
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大塩の乱は、世の中が飢饉になったにも関わらず、幕府や大坂奉行所、そして米を買い占める豪商たちの市民を顧みない専横と不正を、陽明学の師であり良識派の平八郎から見れば怒り心頭であったろうが、先ずは私財を擲って人々を救おうとした。
しかしそれには限界があった。
それより平八郎のその振る舞いを人気取り、犯罪として既定する幕府や奉行所に対して、堪忍袋の緒が切れたのが、大塩の乱であった。
 賛同する人達は、塾生と市民を合わせて約300人、現在は滝川小学校となっている川崎東照宮の境内を決起場所としていたが、事前に発覚したので、洗心洞付近からの進攻となった。
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 大塩隊の大砲の第一発目が当たったのは、樹齢200年の槐(えんじゅ)の大木、2つに割れたと云われ、その記念碑が国道沿いに建てられている。
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 そして、大塩たちは大川を渡り、豪商達の町家を襲い、蓄えられていた金銀を奪って、市民に分け与えたと云われる。
しかし兵火は付き物である。
大坂の5分1の地域は「大塩焼け」と云われる火災となったと云われる。
 そうこうしているうちに、大坂城から地鎮圧軍約2000が出動した。
淡路町辺りで戦闘となったが、プロの多勢に素人の無勢、戦いは決起から半日で終結したと云われる。
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 討ち取られた大塩隊であるが、平八郎と養子の格之助は大坂の街に身を隠した。
約40日間逃げまわったが、靭油掛町付近の町家に隠れていたところを通報され、そして囲まれたため火薬を使って自害したと云われている。(取材は別の日)
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 平八郎、格之助の墓は大塩家の菩提寺である天満の成正寺(じょうしょうじ)に設けられるのが普通であるが、罪人としての扱いであるため、江戸時代はご法度で、明治になってから墓が建てられたとのことである。
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 同時にその隣に一段と大きい、乱の殉職者の碑も建てられている。

成正寺から天神橋筋商店街に戻ると、そろそろ昼である。
通りを駅に戻る方向で歩いていると、見かけない名前の提灯と看板が見つかった。
「おばちゃんとこ」と書かれている。

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 メニューの案内に「ラーメン丼」とも書かれている。
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何かわからないが、初めて聞く食べ物である。
提灯の横のビルの間をすり抜けるように奥へ行くと、その店があった。

 満席である。
10分ぐらい外で待って、中に入れてもらった。
 カウンターばかりの店で、15席位であろうか?
カウンターの中では、おばちゃんとおっちゃんが忙しそうに動いている。
 注文を聞いてくれた。
「ラーメン丼、まだいけますか?」、「ありますよ」のやり取りで、ほっと一息である。
 10分ぐらい待ってラーメン丼が出てきた。
見たところ普通のラーメンである。
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 しかし丼であるので、下半分はライスが入っているのであろう。
小さな細いレンゲが付いていたので、ほじくってみるとライスと黄色いものの破片が出てきた。

麺とライスを同時に食べるのは難しそうなので、先ずは上部のラーメンを片付けようと、取り掛かった。
スープは餡になっている。餡かけラーメンである。
麺は細目で大阪らしい柔らかい麺である。
トッピングはそれぞれ少々の、人参、白菜、ワカメ、メンマ、青ネギ、それにチャーシューである。

 ある程度ラーメンが進んだところで、黄色い底が見える。
調べてみると、玉子焼きがライスを覆い隠している。
 なるほど、ラーメン丼とも云えるが、むしろ天津飯に中華麺入りの餡かけスープを乗せたと云った構造であると云った方が分かり易い。
 餡掛けであるので冷めにくいこと、粘性が高いので天津飯の部分に浸透し難いこと、などを考えた上での餡掛けであろうか。
珍しい食べ物を、最後まで美味しく頂いた時間であった。