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 大阪市の大川の分流の土佐堀川左岸の地下を走る京阪電車の駅に北浜駅、淀屋橋がある。
この両駅の中間辺りの地上に、幕末に緒方洪庵が開設し、数多く人材を輩出した「適塾」がある。
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塾は緒方洪庵の旧宅であるが、洪庵は初代塾長を務め、その後、大村益次郎や福沢諭吉なども塾長を務めたことで知られている。

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 この適塾の東隣に「F仙楼」と云う、北京料理と銘打った食事処がある。
知る人ぞ知る有名な店であるが、メニューや能書きが店頭には一切無いので、通りがかりでは入りにくい店ではある。
 一度は行ってみたいところであったので、近所まで来た機会に店に入ってみた。
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店内は、中央に大テーブル2卓、壁際に小テーブルが数卓の昔ながらのレトロな雰囲気である。

 中央のテーブルに案内され、さて注文であるが、店内の壁にもテーブルにもメニューが無い。
昼は焼きそばと焼き飯、それにカレーライスとカレー焼きそばの4品だそうで、予め決めていたカレー焼きそばを注文し、暫く待つこととなった。
 後から入って来た客の注文を聞いていると殆どがカレー焼きそば、人気メニューであることは間違いが無い。
 5分くらい待って、料理が出てきた。
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カレー焼きそばは、麺と具がうず高く盛り付けられたカレーラーメン状態である。
スープが皿から溢れそうでもある。

 さて、頂いてみよう。

レンゲがあれば、スープを味わってみたいところであるが、周りにはない。
仕方がないので麺と具をピラミッドの頂点から頂くことになる。

具は、豚肉、モヤシ、キャベツ、タマネギそして刻み葱である。
 カレー味の麺と具を一心に頂いた。
量が多いので、中々進んでいるような感じはしないが、ある程度の所まで来たので、スープをラーメン感覚で味わったみた。
スープは具のエキスが混ざっているのか、辛いけれどもまろやかである。
 そしてここからは、麺と具、そしてスープと交互に頂き、最後まで飲み切って完食したのであった。
 そして値段は何とワンコインプラス銅貨1枚、かなり安いという実感で店を後にしたのであった。
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 さて、隣の適塾へ。
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内部の見学ができるようであるが、今回はパスし、西側(右側)の公園へと云ってみた。
そこには緒方洪庵の座像が建てられている。
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塾長時代の講義をしている姿であろう。

 北浜の駅まで戻り、土佐堀川に架かっている「なにわ橋」、通称「ライオン橋」を渡る。
この橋には欄干4隅に阿形吽形のライオン像が置かれているので、その名になっている。
 橋の中間付近から中之島へ出ることができる。
中之島を西へ行くと、先ずは大阪市中央公会堂が建っている。
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 そしてその西に背中合わせで大阪府立中之島図書館と重要文化財が並んでいる。
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 そしてその西は大阪市役所、御堂筋を挟んで日本銀行大阪支店と続くが、そこまでは行かずに元のライオン橋へと戻る。
 橋を渡り返すと、そこは旧大阪証券取引所である。
現在は東京証券取引所と合併し、デリバティブ商品のみの㈱大阪取引所として機能している。
そのビルの前に、この大阪にて初代の株式取引所の設立に貢献した「五代友厚」の像が立っている。
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 取引所の横の土佐堀通りを東へ少し行ってみると、明治維新の時、政府の方針を論議する「大阪会議」が開かれた料亭「花外楼」がある。
現在は、ビルになっているが、入り口にその標柱が立っている。
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 そして入り口東側のビル壁に、その大阪会議に関係した当時の政府関係の実力者達のレリーフが掲げられている。
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大久保利通、木戸孝允、板垣退助、伊藤博文、井上馨だそうで、お馴染みの顔も見られる。

 大阪会議の議題は、立憲政体の樹立、三権分立、二院制議会の確立で、この会議の後、木戸と板垣は参議へと復帰し、4月中ごろには明治天皇より「漸次立憲政体樹立の詔書」が発せられたと云われ、実り多い会議であった、とのことである。
 余談であるが、「花外楼」は江戸天保年間の創業で、加賀の国から来た伊助が料理旅館「加賀伊」を開いたのが最初であった。
 そして、大阪会議の会議の成功を祝って、木戸孝允より「花外楼」の屋号が贈られ、現在も名店として営業が継続されている。