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 去年、大阪市の麺類店を中核に、周辺の町まで広げて、「麺づくりのプロが選んだ大阪の麺100選」というスタンプラリーイベントがあった。
夏場の3か月間のイベントで既に終了はしているが、貰っていたチラシを、ある日、改めて眺めてみると、その中に気になる麺料理を見つけた。
「カツとじそば」と名付けられたものである。
 ある日、東海道本線に乗った機会に、これを食べてみようと、新大阪駅の隣駅である東淀川駅で途中下車した。
新大阪駅と東淀川駅は極めて近い。
東淀川駅から新大阪駅のホームが良く見える。そのような位置関係にある。
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 駅を降り、改札を出て菱方向への階段を上がると、目の前にその店はあった。
「うどん そば SH」という屋号である。
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暖簾を潜ると、厨房を取り巻くカウンターの比較的広い店である。

客は、時間帯のせいかそんなに多くなかった。
カウンターに腰を降ろし、マスターらしき人に「カツとじそば」を注文した。

 するとマスター、「イベントの時のやつですね…。今はもうメニューにはないんです」との応え。
しかし、「ちょっと待って」と、何やら若い調理人に聞いている。
そして、「作れますわ。ちょっと待っとって下さいね」とのこと。
途中下車したかいがあったのである。
そして暫く待つことになった。
 五分ほどして目的のものが出てきた。
カツとじそばである。
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 カツ丼のイメージで、ご飯の代わりにかけそばがベースである。
そば麺は若干の太め、これは期待できそうである。
 さあ頂いてみよう。
カツはトンカツであるが、出汁がコロモに良く染み込んでいるので、カツ丼のようなサクサク感はない。 しっとりカツで、おまけに出汁の味が加わり、全く別感覚のトンカツとなっている。
 次に出汁である。これはとじそばと同じのマロヤカさとなっている。
太めの麺が少しはゴツゴツしている感があるが、全体のバランスを考えるを、これで良いのかもしれない。
とにかく、カツと麺が一体化したそばを味わい、「美味かったです」と感想を一言、店を後にしたのであった。
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 折角なので、少し付近を探索してみよう。

近くに阪急京都線の「崇禅寺(そうぜんじ)駅」がある。
その駅との間に、駅名の崇禅寺の伽藍があるので、それへと向かう。

 崇禅寺は奈良時代の天平年間に僧行基により、法相宗の寺として創建されたと云われる。
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 その後、室町時代に嘉吉の乱により赤松氏に討たれた足利義教の首がこの寺に放置され、この因縁で義教の菩提寺の一つとなった。
そして、摂津守護となった細川持賢の寄進により曹洞宗に改修し、細川氏の菩提寺ともなった。
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 関ケ原の前哨戦にて、大坂の細川屋敷が襲われ明智光秀の娘の細川ガラシャが、自らを家臣に殺させ、屋敷の火をつけたことは有名な話であるが、宣教師オルガンチーノがその焼け跡からガラシャの遺骨を拾い集めこの寺に葬ったことでも知られている。
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 更に江戸時代には、崇禅寺馬場の仇討ちにて、返り討ちにあった遠藤兄弟の塚も祀られている。
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 尚、崇禅寺は明治の廃藩置県の時、摂津県、豊崎県の県庁が置かれたことでも知られる。
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 崇禅寺は、真上が丁度伊丹空港の着陸路となっているらしく、5分間隔位で飛行機の爆音が甍の上空を通過するところでもある。
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 崇禅寺の西近くに神社がある。中島総社と云う。
創建は古代に宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)を祀る稲荷祠が設けられたものと云われる。
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歴史的には、孝徳天皇が豊崎宮に遷宮した時に五穀豊穣を祈願し、神領を賜ったとのことである。

 江戸時代になって大坂の陣の時、兵火にてことごとく焼き尽くされた。
残ったのは、神社の古代の絵図面一葉と、建武期の中島總社と書かれた木製額面のみであったと云われている。
 明治の終り頃に近隣の神社が合祀され、現時点では合祀された神社は8社である。
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 社殿は新しい。
昭和の終り頃の再建とのことである。
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 中島総社は新大阪駅に近い。
東淀川駅から出発したが、知らない間に新大阪駅に近づいてしまった。
途中下車のミニ旅、新大阪駅で終了とする。