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 大阪市営地下鉄の「谷町四丁目駅」で下車した。
谷町四丁目駅は、南北に通る谷町線と東西に通る中央線が交差する駅である。
 地上へ上がり少し東へ歩くと、そこは地上の中央大通りと上町筋との交差点「法円坂」である。
その東南に国の史跡である「難波宮(なにわのみや)跡」9万㎡が広がっている。
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 難波宮は、よくご存じの蘇我氏が滅亡した後、孝徳天皇が難波に遷都し、大化の改新が執り行われことに始まる皇宮で、首都として、あるいは副都として、以後150年もの間存続した都であった。
 難波宮は、孝徳天皇の前期難波宮と、聖武天皇が副都として築いた後期難波宮に分けられる。
史跡部分にもそれと分かるように、前期は朱色系統、後期はグレー系統(説明図ではブルー)に色付けされている。
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 史跡の入り口には、漫画表現を取り入れ、大極殿の姿や史跡の航空写真などの分かり易い説明板もある。
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 法円坂の交差点から史跡に入ると、朱色の朝堂院の回廊や八角殿を模した建造物がある。
これらは前期のものである。
尚、前期の建物は全て掘立柱であったと云われている。
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その向こうは後期の大極殿跡で、コンクリートで模されている。イメージ 5
 大極殿跡には礎石も模されている。
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 そして、大極殿の北側には、大坂城の天守閣も望むことができる。
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 また大極殿の北側は中央大通りと共に阪神高速道路が通っているが、この部分だけは高架ではない。
高架にするに橋脚設置のために地下を相当量掘る必要がある。
そうなると遺構の破壊に繋がる可能性がある為、それを気遣ったものとされている。
 その他にも史跡の西端には、五間門の柱が模されている。
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法円坂交差点の北側は馬場町交差点である。
大阪歴史博物館とNHKの正面である。

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 またその向かいには、大阪府警本部そして大阪府庁と続く。
そして東向いは大坂城である。
南外堀とその石垣に建つ重要文化財「六番櫓」を眺めることができる。
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 史跡の見物はこれくらいにして、元の谷町四丁目駅に戻ろう。
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 さて昼食である。
谷町四丁目はビジネスの街の中心である。
沢山の昼食処もある。
少し歩いて探してみた。
 あっちこちにいろんな店があったが、最終的に駅に近い所のカレーライスの専門店を見つけた。
店の名は「カレーB」という。
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表看板を見ただけでは、とくに変わったメニューは無く、標準的な店のようである。

 青い螺旋階段を上がって、店内に入ってみた。
店はカウンター7~8席とテーブルが10卓ぐらいの店で、7割くらいの客数である。

メニューは店内の壁に掲示しているのみであるが、沢山の種類のカレーかある。
こんな機会には、珍しい物を探すのが通例となっている。

日頃はあまり聞かない「すじこんカレー」と云うのがあった。
 すじこんとは牛スジとコンニャクである。
兵庫県では「ぼっかけ」と云われるもので、麺類とのコラボでよく見られるものである。
 麺ならばすじこんが露出しているので、食べているという感覚はあるが、カレーであるならルウに紛れてどうなのであろうか?
あれこれ思いながらも、珍しいので、「すじこんカレー」を頼んだのであった。
 待つこと5分ぐらいか?
すじこんカレーが届けられた。

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中央の盛り上がっているところにすじこんが盛られているのであろう。
さて、頂いてみよう。

 カレーは辛口を頼んだので、それなりの辛さであるが、適度な辛さである。
最初は甘く、食べているうちに辛くなるというカレーもあるが、これは食べている間に慣れてくるので、だんだんと甘くなってくるようなストーリーである。
 さて問題のすじこんであるが、やはりルウに紛れての固体系を感じるだけである。
すじこんは元々味が薄いので、当たり前と云えば当たり前である。
 すじこんを食べているという自覚だけで食べることになり、最後まで頂いたのであった。
 やはりカレーのトッピングは、1にカツ、2にエビフライ、3にハンバーグであろうか?
と、思った昼ご飯であった。