1
JR阪和線の大阪市内の南部の駅に「長居駅」がある。
この駅は大阪市営地下鉄との乗換駅であるが、駅の東には長居公園があり、大阪女子マラソンのスタート・ゴールの陸上競技場や、サッカーのセレッソ大阪ホームのヤンマースタジアムやキンチョースタジアムが並んでいるところである。
長居公園の方は別の機会として、今回は長居駅で下車して、駅の西側を訪ねてみることにする。
駅の西側には、アーケードの長居商店街がある。
その商店街の中ほどにラーメン店がある。
変わった店名で「3738」という看板が掲げられている。
変わった店名で「3738」という看板が掲げられている。
表に掲げられているラーメン作りの能書きが気に入った。
「教えちゃらよ・・・」
泉州弁とも和歌山弁とも思われる言葉が気に入った。
メニューの煮込みラーメンにも興味がある。
「教えちゃらよ・・・」
泉州弁とも和歌山弁とも思われる言葉が気に入った。
メニューの煮込みラーメンにも興味がある。
長居と云うところは、飲食の激戦地である。
良く知られるファーストフードのチェーン店が幾つかある。
またラーメン店もいくつかある。昼飯はこの店に決めて、暖簾を潜り、引き戸を開けて入店したのであった。
店内は左に一列のカウンターと、右に4~5卓のテーブルとなっている。先ずはカウンターに腰掛けて、メニューを見てみる。
良く知られるファーストフードのチェーン店が幾つかある。
またラーメン店もいくつかある。昼飯はこの店に決めて、暖簾を潜り、引き戸を開けて入店したのであった。
店内は左に一列のカウンターと、右に4~5卓のテーブルとなっている。先ずはカウンターに腰掛けて、メニューを見てみる。
煮込みラーメンをと思うが、牛すじの煮込みで味噌とカレーがある。
セットでご飯が付いているとのことで、ここはカレーを注文したのであった。
セットでご飯が付いているとのことで、ここはカレーを注文したのであった。
一つ一つ煮込むので、時間が掛かるのであろう。
それでも10分以内くらいで、ラーメンが出てきたのであった。
それでも10分以内くらいで、ラーメンが出てきたのであった。
2
さて頂いてみよう。
カレーと麺はよく合う。
ルウを絡めながら、麺をいただく。麺と具を交互に食べながら半分くらいまで進んだころ、カウンター内のマスターから声が掛かった。
「ご飯は食べないんですか?」と…。
「後でスープに入れて、リゾット風に食べるんです。これが2度の美味しさなんです」
と答え、また麺を継続した。
ルウを絡めながら、麺をいただく。麺と具を交互に食べながら半分くらいまで進んだころ、カウンター内のマスターから声が掛かった。
「ご飯は食べないんですか?」と…。
「後でスープに入れて、リゾット風に食べるんです。これが2度の美味しさなんです」
と答え、また麺を継続した。
残ったスープにご飯を入れてみた。
これが美味いのである。
カレーうどんでも同じように食べるのが、常道となっている。
これが美味いのである。
カレーうどんでも同じように食べるのが、常道となっている。
腹一杯にいただいて、店を後にしたのであった。
さて、腹ごなしに付近の探索である。
長居は古代から栄えたところである。
商店街の東北の角に、式内社「多米(ため)神社」の祭祀地がある。
商店街の東北の角に、式内社「多米(ため)神社」の祭祀地がある。
式内社であるから、平安時代かそれ以前の神社である。
現在は、住吉大社の境内社「種貸神社」として合祀され、この元地にはかつての社号標が祀られている。
引き続き、商店街の西側である。
そこにも式内社「神須牟地(かみすむぢ)神社」がある。
そこにも式内社「神須牟地(かみすむぢ)神社」がある。
住吉大社が摂津国一の宮なら、この神社は三の宮との説もある。
江戸時代には、大名が参勤交代の途中で住吉大社に参拝する際、この神社で旅装を解き、参拝の装束に整えたと云われる。
江戸時代には、大名が参勤交代の途中で住吉大社に参拝する際、この神社で旅装を解き、参拝の装束に整えたと云われる。
本殿の祭神は、神産霊(かみむすび)大神、天日鷲(あめのひわし)命、少名彦(すくなひこな)命で、古代より酒造と医薬の祖神として、また文武両道の守護神として信仰厚い神社である。
神須牟地神社の南には眞光寺と云う寺がある。
この寺は、南北朝の時代から戦国時代まで、何度かの合戦の砦となった場所で、「寺岡砦跡」という命名がある。
この寺から2本南の通りは長居公園通りである。