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中世室町時代から近世の江戸時代初期にかけて大阪の堺は環濠都市として、自治の機能が備わった自由都市であった。
 南宗寺は、もともと堺の環濠の現在の宿院の辺りにあった南宗庵が始まりである。
畿内の覇者となり四条畷の飯盛山に城を築いた三好長慶が、非業の死を遂げた父三好之長の菩提を弔うために京都臨済宗大徳寺の大林宗套(だいりん そうとう)を招き創建開山したのが南宗寺である。
 その後南宗寺は環濠堺の町衆の拠り所として、茶人の武野紹鴎や千利休そして津田宗及などが集うこととなり、堺の文化の発展に大いに寄与したのであった。
 しかし、江戸時代になって大坂の陣で焼失したため、その後現在の場所に当時の住持であった沢庵和尚宗彭によって再興され、太平洋戦争で一部焼かれたものの、現在にその姿を留めている。
 前置きが長くなったが、今回はその南宗寺を訪ねてみる。
南宗寺は堺環濠の南の端の土居川に隣接したところに佇んでいる。
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 寺門は土居川と逆の北側なので、北側まで行き、寺門を潜り参道を辿ると、先ずは最初に甘露門と云う重要文化財の楼門が現れる。
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 そしてその門の裏手に、三好長慶の像が新しく建てられている。
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 三好長慶は政治のみならず、茶の湯などの普及を勧め、堺の発展に大きく寄与した文化人であることから、市民の熱意により2年前に建立されたものである。
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 伽藍の方へ参道を進んで行くと、鐘楼の奥手に重要文化財の唐門がある。

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詳しく見てみると徳川の葵紋が付けられ、瓦も葵紋である。

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この唐門の向こうに徳川家康の墓標が建っている。

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 かつてはこの場所に東照宮が祀られていたが、現在は水戸徳川家家老の末裔によって再建された「東照宮徳川家康墓」と云う墓標銘である。
 どうしてこのようなものがあるのか謎ではあるが、一説によると家康が大坂冬の陣にて後藤又兵衛に追い詰められ槍に刺されて絶命し、遺骸は南宗寺に運び込まれ密かに葬られたと云うものである。
 そして更に将軍秀忠や家光が墓参したとの話も残っている。
 更に進むと、これも重文の仏殿がある。
その先の禅堂を回り込むと寺院の寺務所がある。
 受付を済ますと寺院の墓地や本堂、庭園などを拝観することができる。
先ずは、墓地へと行ってみる。
 千利休の師匠の武野紹鴎の墓所、利休一門の墓所、津田宗及の墓所、そして三好一族の墓所がある。
そしてその先に、ポツンとした小さな卵形の墓がある。
家康の墓とのことである。
丁度、唐門と墓標の裏手に当たる処である。
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次に、本堂そして庭園に行ってみる。
利休好みの茶室「実相庵」が本堂に付随して再建されている。

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 元の参道に戻り、鳥居を潜り突き当りまで行ってみるとそこには「本源院」という塔頭がある。
入れないのは残念であるが、寺門には「織田信長信忠公供養塔」と書かれている。
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 この南宗寺には戦国時代に華々しく活躍した武将たちの遺蹟が見られるのは、さすがに当時の中心地の堺である。
しかしながら、秀吉の遺蹟は何も見当たらない。
貿易商であったルソン助左衛門を追い払った秀吉への罰なのであろうか?
はたまた利休を自害せしめた罰なのであろうか?
秀吉については堺市民は気にも留めていない様子である。
 歴史はここまでにして、もと南宗寺があったと云う宿院方向へ北門から出て参道を歩いてみる。
宿院とは、現在も大鳥大社、住吉大社の頓宮があるのでそう呼ばれている。
頓宮の西は少し行って紀州街道の大道筋、そして筋を渡ると千利休の屋敷跡である。
北は少し行って通称「大寺」の開口神社で、この辺りはかつて寺が多く、初代の南宗寺もこのどこかにあったと云われるが、その痕跡はない。
 丁度昼時である。
頓宮の前の中央環状線を渡ったところの先にラーメン屋を見つけた。
煮干しラーメンの「麺屋 USG」と云う。
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 迷わず入ってみた。
中央にテーブルが並び、調理場側と窓側の両側にカウンターがある20数席の店である。
しかしテーブルは、女子高校生らしきガールズグループに占領されていた。
煩いかな?と一瞬思ったが、入ったものは仕方がない。
券売機で基本の「煮干しラーメン」の食券を選んで、窓側のカウンターに座ったのであった。
 女子高生の一団はよく躾けられているのであろう。意外と静かである。無駄な騒ぎはない。
これなら安心である。
待つこと10分位か、目的のラーメンが出てきた。
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 意外と小ぶりであるが、スープは濃厚そうである。
大きく肉厚のチャーシューが一枚、メンマにナルト、そして板海苔である。
テーブルに黒コショウがあったので振りかけ、さあ頂いてみよう。スープは魚介系の香りが結構強い。
しかし、ベースのスープはすっきりした味である。
能書きによると、白湯スープに煮干、日高昆布、宗田節、さば節などの魚介スープを加えたダブルスープとのことである。麺は、札幌から仕入れた麺とのことで、札幌ラーメンと云える縮れ麺であり、魚介スープとの絡みが良好である。

 ラーメンの総量が少ないのは残念であるが、一気に最後まで頂いてしまったのであった。
 食べ終わって横を見てみると、煮干しの袋が積まれている。
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段ボールには中国語も見える。
イワシの原産地は中国かも知れないが、まあいいかと思いつつ店を後にし、西の大道筋の宿院駅がら阪堺電車に乗ったのであった。