1
新宿駅西口の小田急百貨店の少し北側に、昔ながらの古い建屋の小さな店が集合した一角がある。
「思い出横丁」と云う一角である。
メインの路地は南北に通り抜けているが、すれ違うのも困難な狭い通りである。
その通りの両側に昔ながらの赤ちょうちんカウンター式の食事処が並んでいる。
昼食時には全店が開いているわけではない。
その通りの両側に昔ながらの赤ちょうちんカウンター式の食事処が並んでいる。
昼食時には全店が開いているわけではない。
中央付近の唯一の三叉路交差点の角を利用したL字型カウンターの蕎麦屋がある。
「KMや」と云う。
「KMや」と云う。
この店の名物は「天玉そば」であるらしい。
目立つようにいくつもの張り紙がされている。
それならと云うことで、その名物を注文して、しばらく待った。
目立つようにいくつもの張り紙がされている。
それならと云うことで、その名物を注文して、しばらく待った。
1~2分でその「天玉そば」が出てきた。
出汁は醤油色で、色はかなり濃い。
まさに東京の蕎麦であり、期待が膨らむ。
七味を振りかけ、さあ頂いてみよう。
まさに東京の蕎麦であり、期待が膨らむ。
七味を振りかけ、さあ頂いてみよう。
先ずは出汁と行きたいが、アツアツでレンゲもないのでそうはいかない。
先ずは麺である。白い麺である。
出雲や出石のように黒っぽくはない。
つるつるしていて喉越しも良い。
先ずは麺である。白い麺である。
出雲や出石のように黒っぽくはない。
つるつるしていて喉越しも良い。
絡んでくる出汁はやはり濃厚である。好きな出汁である。
かき揚げはと云うと揚げたてなのでサクサクしている。
これも出汁と絡むと、丁度良いつけ汁となる。
かき揚げはと云うと揚げたてなのでサクサクしている。
これも出汁と絡むと、丁度良いつけ汁となる。
量が少し減った時点で、玉子を崩し、麺、出汁、かき揚げの循環箸で美味しく頂いたのであった。
そして久しぶりに東京の蕎麦を食したという満足感を得たのであった。
そして久しぶりに東京の蕎麦を食したという満足感を得たのであった。
さて、腹ごなしに周辺を歩いてみよう。
横丁の西は青梅街道である。
横丁の西は青梅街道である。
2
街道に沿って暫く歩くと、東京医大病院の前に成子(なるこ)天神社と参道入り口があったので、参道を辿ってみた。
結構長い参道である。
参道の両側には、恵比須さん、大黒さんの七福神の一部が祀られている。
参道の先には真新しい随身門がある。
参道の両側には、恵比須さん、大黒さんの七福神の一部が祀られている。
参道の先には真新しい随身門がある。
その先は境内である。
境内にも残りの七福神が祀られている。そして境内社もいくつか並んでいる。
天満宮であるので、撫で牛も祀られている。
天満宮であるので、撫で牛も祀られている。
境内の正面は拝本殿である。
本殿には菅原道真公が祀られている。
本殿には菅原道真公が祀られている。
この神社の由緒は、菅原道真が九州大宰府で死去してから、その死去を嘆き悲しんだ家臣が京都の屋敷にあった道真公手彫りの像を運び祀ったのが始まりであると云われる。
本拝殿の横奥には、高さ12mの富士塚が祀られてる。山頂には木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の像が祀られていたが、この前の東北大地震で落下したため、現在は山麓に祀られている。
成子天神社の入り口に戻り、今度は東京医大病院の西側を南へと歩く。
暫く行くと、新宿中央公園に突き当たる。
公園内は天気が悪いせいもあり人影はほとんどない。
暫く行くと、新宿中央公園に突き当たる。
公園内は天気が悪いせいもあり人影はほとんどない。
公園の西の一部に熊野神社が鎮座している。
十二社熊野神社と呼ばれる。
十二社熊野神社と呼ばれる。
この神社は、室町時代に紀州藤白で熊野三山の祠官をつとめる鈴木家の末裔が中野坂上に住み、産土神である熊野三山より若一王子宮を祠ったところ家運が上昇したため、さらに熊野三山の十二所権現の全てを祠ったのがこの神社の創建由緒である。
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、八代将軍吉宗公も鷹狩の折に参拝したと云われる神社である。
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、八代将軍吉宗公も鷹狩の折に参拝したと云われる神社である。
新宿中央公園を取り抜ける。
東京都庁に近い辺りに、白糸の滝、その裏手にナイヤガラの滝という仕掛けがあるが、残念ながら水は流れていない。
東京都庁に近い辺りに、白糸の滝、その裏手にナイヤガラの滝という仕掛けがあるが、残念ながら水は流れていない。
そして公園を出て都庁を見上げ、ミニ旅は終了したのであった。