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 京都市内の西部に京福電車という路面軌道と専用軌道混合の私鉄が走っている。
嵐山本線と、本線から分岐した北野線と云う線区がある。
通称、嵐電(らんでん)と云う。
 京都市営地下鉄の西の終点の「太秦天神川駅」で嵐電に乗り換え、嵐山へ向かったのであった。
嵐山駅は、飲食店や土産物店が並ぶメイン道路に面し、かつ臨済宗天龍寺の門前にある。
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 嵐山は観光スポットなので、いろんな名所地がある。
今回は、嵐山や嵯峨にある式内社を訪ねることが目的であるので、先ずは大堰川(桂川)の畔へと出た。

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 川の手前の店舗の並びの間に式内社「大井神社」の参道入り口の鳥居がある。
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その先の狭い参道を進むと朱塗りの鳥居と本殿がある。
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この神社は、秦氏が葛野大堰を築き、この地を開拓した時に治水の神として祀ったのが創祀と云われている。
また社殿は野々宮神社からの移築と云われている。
尚、現在の祭神は宇賀霊神 (うがみたまのかみ)である。

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 渡月橋を渡り、小橋を渡った右手に嵐山モンキーパークへの入り口がある。
式内社「櫟谷宗像(いちいたにむなかた)神社」への参道入り口でもある。
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 石段を登り詰めると正面に社殿が祀られている。
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元々は、櫟谷神社と宗像神社は松尾大社の境外摂社で、それぞれ松尾七社に数えられていたが、現在は合祀され櫟谷宗像神社となっている。

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 櫟谷神社の祭神は奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)、宗像神社の祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、両神とも宗像三女神であり、大堰川の水利を護る神となっている。
 次に嵐山を少し離れて東の嵯峨地区へと移動する。
丸太町通りの広沢南野町に式内社「阿刀神社」の参道入り口の標柱がある。
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 狭い参道であるが、辿って行くと鳥居が建っている境内が民家の間に確保されている。
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社殿は小祠である。
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平安京遷都に伴い、現在の八尾市に住んでいた物部氏の支族の阿刀連が、祖神を祀った神社で、祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫味饒田命(うましにぎたのみこと)である。
しかし、別に祭神は天照皇大神とする説もある。

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 嵐山・嵯峨地区の式内社の3社の訪問は終了である。
丁度、昼食時刻となったので、この付近で食事処を探してみた。
阿刀神社の丸太町通りの向かいに中華料理店があった。
中華はあまり好まないので、パスとしようとしたが、良く見ると「名物 京の皿うどん」の看板がある。
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あまり聞いたことが無い。
皿うどんと云えば長崎の名物である。
それが京風になるとどうなるのか?
興味津々となった。

 早速、この店、パンダの名前のような「HAN HAN」に入ってみた。
店内は中華レストランである。
沢山のテーブル席がある。
案内嬢に案内されるまま、中央付近のテーブルに着いたのであった。
 注文は勿論のこと「京の皿うどん」である。
「麺はどうしますか? 揚げ麺と焼き麺がありますが…」と聞かれた。
「揚げ麺ではなく、焼き麺でお願いします」と答え、暫く待つこととなった。
 10分ぐらいして、皿うどんが届けられた。
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皿の縁に梅干しが乗せられている。
そして皿の表面一杯に鰹の削り節が乗せられている。
これが「京」なのであろうか?

 さあ、頂いてみよう。
 先ずはスープ、濃厚では無く、多少のトロミがある鶏出汁のアッサリである。
鰹節と混ぜると全くの和風である。
こういう皿うどんもあるのである。
 麺は焼き麺、程よい焦げ目も付いている。
シコシコとして、歯触りが良い。
 具は長崎ちゃんぽんに似たりである。
全体が和風なので、軽い感じで楽しむことができる。
 アッサリ皿うどん、量は少なめであり、腹八分目で完食したのであった。