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 奈良県生駒郡平群町の信貴山山頂付近に信貴山真言宗総本山「朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」という有名な大寺院があり、「信貴山(しぎさん)」と呼んでいる観光地である。
信貴山には、JR関西本線王寺駅で下車し、バス便にて向かうことになる。
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その昔、聖徳太子が物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中に信貴山に登り、戦勝祈願をしたとき、天空から毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授かり、守屋に勝利したたと云われている。
その祈願した日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であったとのことである。
そして太子は自ら毘沙門天王像を刻み伽藍を創建し、信ずべし貴ぶべき山「信貴山」と名付けたと云われている。

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 時代は降って平安時代、勅命により命蓮(みょうれん)上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をし、たちまちのうちに天皇の病気は癒えたと云われている。
そして天皇は、朝廟安穏、守護国土、子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなったと云う寺に纏わる経緯がある。
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 信貴山はこれだけでは終わらない。
戦国時代、三好長慶らと結んだ大和の雄松永久秀が、尾張からやってきて天下統一を目指す織田信長に叛旗を翻し、信貴山頂に城を築き抵抗したが、信長軍に追い詰められ、名器「平蜘蛛茶釜」を被って爆死したと伝えられているところでもある。
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その信貴山頂へは本堂の裏あたりから鳥居が設えられた登山道を登る。
結構急な上り坂である。
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 30分ほどで頂上に到着する。
頂上には、信貴山城址の石碑、そして空鉢護法の扁額の鳥居を潜る。
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その先には社殿が祀られている。
本殿・拝殿が整っている。

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 空鉢護法とは、信貴山を再興した命蓮上人に関わるものである。
信貴山で修行中の命連上人は、神通力により空鉢を地元の長者の下に飛ばして施しを入れてもらうという方法で托鉢をしていた。
ある時、ある長者がその鉢を倉の傍に置き、そのままになっていたのか、倉ごと信貴山へ飛んで行ったと云う。後をつけたその長者が信貴山にて上人に返してくれと懇願したが、倉は返せぬが米はお返ししようと、米一俵を鉢に乗せ、そのうしろを一千石の俵の列が雁のように連なって飛んで行ったと云う物語である。
 これらのことは国宝の信貴山縁起絵巻に描かれている。
 頂上437mからの眼下の景色には和ませるものがある。
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 頂上から下の寺院まで戻り、仁王門から退出する。
左手に千体地蔵が何段にも整列している。

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そろそろ昼である。
門前の並びに町家を店舗にした喫茶店とラーメン屋が並んでいる。
今回は、このラーメン屋「ABN日本一」に入ってみることにした。

 内部は民芸風のテーブル席と厨房の周りに配されたカウンター席の店である。
 店はほぼ満席であるが、何とかカウンターに腰掛けることができた。
 しかし残念ながらメニューについての予備知識はない。
やってきた店員嬢に、「何がお薦めですか?」と聞いてみた。
「すじラーメンが人気です。カレーもありますが…」
「それじゃ、そのすじのカレーラーメンでお願いします」
と、注文したのであった。
 次々とラーメンが仕上がっているようであるが、中々順番が回ってこない。
10分も待ったころ、やっと「すじカレーラーメン」が届けられたのであった。
 黒いラーメン鉢にドロッとしたカレーのスープ、トッピングは牛すじ、もやし、刻み青ネギである。
少し重そうであるが、さあ頂いてみよう。
 麺はストレートの細麺、カレースープが良く絡む。
問題の「すじ」はどうかと云うと、極めて柔らかい。
隣で食べている人も、柔らかいと連れの人に言っているが聞こえる。
兵庫の「ぼっかけ」とは違い、煮込み方にテクニックがあるのであろう。
 しかし、カレースープは重い。
味はしっかりしているが、胃への負担が大きそうである。
カレーより普通の醤油にした方が良かったかな?、と反省した次第である。
 しかしながら、モヤシは清涼剤となる。
スープと交互に頂くと、それなりに刺激がやわらぐような気がした。
 と、何のかんのと思いながら、すっかりと完食したのであった。
 このABN日本一という店は、大阪ラーメンの一つのルーツだそうである。
戦前から戦後にかけて、阿倍野橋の駅近で屋台営業していたそうで、大阪ラーメンにはニラ辛味噌というフリートッピングがあるが、この店が元祖とのことで、勉強になった次第である。
 尚、信貴山へ店を開く前は、近鉄竜田川駅前に店を構えていたとのことである。

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