1
 前回の新宿駅西口に引き続き、今回は東の東南口である。
新宿駅南口コンコースを東へ行くと東南口があり、階段を降りると東南口の駅前広場に出る。
右の頭上には国道20号線、甲州街道が通っている。
 広場を横切り甲州街道に沿った下の道を東へ歩くと左手に幾つかの食事処がある。
店の前のメニューを見ながら歩いていると「かつ牛どん」と云うのが目に入った。
どんな食べ物かはあらかた想像できるが、食べた経験がない。
思い切って入ってみた。

イメージ 1

店の名は「TT屋」と云う。
間口一間ぐらいの店で、15~6席のJ字カウンターとその中に調理場があるウナギの寝床のような店である。
メニューはいたってシンプル、牛どん、とりどん、かつどん、玉子どん、親子どん、かつ牛どん、である。
迷わず「かつ牛どん」と注文し、そして味噌汁とお新香が付く定食セットにしたのであった。

 5分ぐらいしてかつ牛どんが出てきた。
玉子でとじたカツと牛どんの具がトッピングされたもので、予測した通りであるが、量は多そうである。
イメージ 2
 先ずは味噌汁から…。
白みそに近い味噌汁で、少々甘めである。
 次にかつ牛どん、牛どんとしてのトッピングには焼き豆腐、玉ねぎも混ぜられている。
しっとりと仕上がっていて手頃な柔らかさである。
 牛どんトッピングの下はご飯なのかと思っていたが、そこにもカツがある。
カツは鉢一面である。
カツは、これも手ごろな柔らかさで、中々の味でもある。

牛、カツ、味噌汁と結構忙しいが、順番に頂き、最後に白菜漬けを摘んで、完食となった。
しかしながら、。やはり量は多い。
結構な満腹感で、店を後にしたのであった。

なおこの「TT屋」の客は近隣のサラリーマン氏が多いようである。
ワンコインでどんぶりが食べられるので、重宝されている店のような雰囲気である。

 さて、満腹となった後は近場の散歩である。
 この甲州街道の下道を少し行けば新宿4丁目の交差点に出る。
そこは、明治通りとの交差点である。
交差点を左折し、明治通りを北上することにする。
 少し行くと新宿3丁目の交差点、そして老舗デパート伊勢丹新宿本店の前を通る。
デパートには用はないので通り過ぎると、新宿5丁目の交差点となる。
靖国通りとの交差点である。
              2
 交差点を少し過ぎると左手に神社がある。
「花園稲荷神社」と標柱に書かれている。
イメージ 3

折角であるので、この神社に参拝してみることとする。

 標柱から参道へと入り大鳥居を潜ると、右手に広いところがあり、背の高い櫓が組まれている最中であった。
その広場の向こうに境内社らしきがあるようである。
行ってみると、芸能浅間神社とある。
イメージ 4
 唐十郎を始め、よく聞く芸能人の名前が玉垣に書かれている。
そして神社の境内に、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞碑がある。
イメージ 5

芸能人に信仰の厚い神社であろう。

 元の参道に戻ると右手に成徳稲荷神社、そしてその先に神楽殿がある。
イメージ 7
 正面は石段である。
それを登ったところに拝殿が祀られている。
イメージ 6
 拝殿には大鳥神社、花園神社、雷電神社の3つの扁額が掲げられている。
イメージ 8

大鳥神社は日本武尊、花園神社はお稲荷さんの倉稲魂命、そして雷電神社は受持神で、3つの神が合祀されている。

 拝殿の背後は本殿で、その裏は、通りを挟んで新宿コールデン街、そして歌舞伎町である。
イメージ 9
 花園神社は、徳川家康が江戸に入った頃には既に存在していたと云われる。
その鎮座地は先ほど通ってきた伊勢丹デパートのあたりであったと云われる。
 その鎮座地が、大名屋敷用地として引き渡されたため、市民は参拝不可能となり、現在の地に遷座されたと云われている。
この地は尾張徳川家の領地であったが、一部割譲され、稲荷神を祀っていたので花園稲荷神社と呼ばれた。

そして明治になり花園神社と改称されたが、大正期には花園稲荷神社と元に戻り、昭和40年に現在のコンクリート製の社殿を造営し、同時に末社であった大鳥神社を合祀したので、稲荷神だけではなくなり、花園神社と改名され、現在まで続いている。

 花園神社の周りを回ると、西側の靖国通りにも参道入り口がある。
こちらは花園神社の標柱である。
昼なお暗い参道を東進すると、拝殿下の石段へと達する。
イメージ 10
 大都会の真ん中であるので、参拝者が絶えない花園神社である。