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 福岡市に出かけたついでに、豚骨ラーメンの元祖とも云える長浜ラーメンを久しぶりに味わってみようと、地下鉄に乗った。
元祖長浜ラーメンの店は福岡城跡と中央市場との間にあるので、地下鉄の赤坂駅で降りて、先ずは西に歩く。
左手に福岡城の濠と石垣、城壁が見えて来る。
 濠沿いに歩き、平和台という交差点に至る。
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左折すると城内へと入ることになる。
以前はこの城壁の向こうにプロ野球西鉄ライオンズやダイエーホークスの本拠地であった平和台球場があった所である。

 福岡城は後程として、先ずはラーメンである。
交差点を右折し、海側へと向かう。
しかし中々現場へは到着しない。
土地勘が無いので、道に迷ったのであろうか?
 心配しながら暫く歩くと左手にラーメン店の看板を発見!
長浜○○と書いている。
これかな?と思い、店の前まで行くと少し雰囲気が違うような気がする。
 その先にも屋台風のラーメン屋がある。
やはり長浜○○とある。
これでもないと思っていると、通りを挟んで案内板が…。
 交差点を曲がった所に「元祖NH屋」の大看板と10数人の行列があった。
コレコレ、この雰囲気である。

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以前来た時は木造店舗の様な店であったが、今回は店は新しい構えである。
確か、店を閉めたとか再開したとかのニュースを聞いたことがあるような記憶がある。
紆余曲折があったのであろうが、店があるのは嬉しいことである。
早速並んで順番待ちをしたのであった。

 20分ぐらい待ったであろうか、前には1組となったので食券を購入し、いよいよ入店である。
店内は大きなテーブルが4卓、それぞれに10人ぐらいは座れそうである。
席に案内され、食券をテーブルに置いた。
 食券を取りに来て、注文の詳細を聞いてくれるのかと思ったが、そうではなかった。
暫くしてラーメンが出て来てしまった。

「何も聞かれてませんが…。麺かため、ネギ多めが欲しいんですが…」
「分かりました。直ぐ交換します」
と少しして目的のものに取り替えて出してくれた。

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 周りを見てみると、着席と同時に店員さんに「かため」とか「ねぎ多め」とか頼んでいる。
何も言わないと標準のラーメンが出される、そう言うシステムなんだと理解したのであった。
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 それはともかく、まずは頂いてみよう。
スープはあっさりしている。
今までの豚骨では恐らく最高のアッサリであろうと思われる。
 麺はストレートの細麺で、好きな麺である。
そしてチャーシューは薄くスライスしたコマ切れで、麺に絡めて一緒に食べることができる。
 しかしこのラーメン、濃厚な豚骨が流行っている今では珍しくスッキリした味でもある。
原点を食したことになるのであろうと、満足した次第であった。
 さて、長浜ラーメンの歴史を少し見てみる。
創業者は榊原氏という。
戦後名古屋の闇市で知り合った台湾人から、豚だけでスープを作るラーメンを習い、博多駅前で屋台を始めた。
しかし売れなかったので、中洲へ移動した。
しかしそこでも同じで、流行らなかった。
 場所を変え今度は大浜の魚市場の前に移動すると、市場で働く人たちの朝食として歓迎され、大いに売れたそうである。
そして市場の長浜への移転に付いて行き、商売は繁盛、屋台から店舗へと変え、今日に至っているとの歴史となっている。
 市場の人は忙しいので、席に座ると直ぐに出せるラーメンとのことから、麺を細くしたこと、そして替え玉システムを設けたこと、これらのことはこの店が最初である。
さて、ラーメンでの後は、腹ごなしの散歩である。
福岡城跡へ行って見よう。
 福岡城は黒田官兵衛・長政親子が江戸時代になって筑前の藩主となり、築城したものである。
因みに「福岡」という地名も官兵衛ゆかりの岡山県の備前長船町福岡から名付けたものである。
 先ほどの平和台交差点に戻り、そのまま濠を渡り、右手の城壁沿いに入城した。
そして平和台球場跡に沿って歩き、二の丸門跡から本丸・天守へと向かう。
本丸御殿の跡は広いところである。
その先に天守の石垣が見えている。
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 天守跡に登ってみると、周辺を見渡すことができる。
天守まで行って満足したので、今度は大手門側へ下城する。
 本丸から出て少し行った登り口に福岡城跡の石碑がある。
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そしてその前の広い車道を大手門の方に向かう。
右手に平和台陸上競技場、左手に天神の屋敷から移築された母里(もり)太兵衛邸の長屋門が建っている。
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母里太兵衛は黒田24騎の1人で、「酒は呑め呑め 呑むならば…」の黒田節で有名な人物である。

 そして濠に出る手前に、下之橋御門と潮見櫓が建っている。
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そして元の濠端の道に戻り、束の間の福岡城見学は終了したのであった。