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 大阪心斎橋の大丸百貨店の大正時代の建築である本館の老朽化が進んできたので、このほど建て替えることになり、先ずは解体工事が始まった。
設計施工は日建設計と竹中工務店の大阪のゴールデンコンビである。
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 心斎橋大丸の本館と云えば、アメリカ出身の建築家ウィリアム メレル ヴォーリズの設計で、近代建築史上に大きな足跡を残したものである。
 そこで、この建築物をそっくり無くしてしまうのは忍びないとのことで、御堂筋側の外壁はそのまま残し、その後ろに、11階建ての新本館ビルを建て、北側の北館と2階以上のフロアーが行き来できるようにするとの建て替え計画とのことである。
 大丸と云えば地下の食品街には美味しい穴子の販売店舗「HS」があり、時々は訪問しては穴子寿司を買ったりしている。
しかし解体工事のために本館は閉鎖され、営業は北館と南館のみである。
北館の食料品売り場にその店は移動してきているのか、恐る恐る訪ねてみた。
 無かった。
その代り別の穴子専門店が店を構えていた。
「AGや」と云う近くの心斎橋に本店がある店である。
以前のHSと同様の商品が並べられている。
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こちらも美味そうである。
仕方が無いので、この店で穴子寿司の一折を購入したのであった。

 店員さんに聞いてみた。
「以前にあったHSはどうしたんですか?」
「これを機会に撤退しました。で、うちが…」
とのことであった。
 さて、大丸本館の周囲を見てみよう。
先ずは玄関である。
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 そして玄関脇には、さりげなく大丸マークと創業1717年を示すプレートが付けられている。
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大丸は、この年に京都の伏見区にて下村彦右衛門正啓が古着商「大文字屋」開業したのが始まりである。
店名は京都五山の送り火の「大文字」に因んで付けられたと云われる。

 その後、江戸時代に、大阪、名古屋、京都市内、そして東京に店舗を構えた。
また名古屋進出にあたって「丸」の中に「大」の字の商標を使い始め、広く一般に「大丸」と呼ばれるようになった。
 また、丸の中の大の字を見てみると、「一」の左端に3本、「人」の字の下端左に5本、右に7本の髭をつけるマークで登録されている。
これはお目でたい「七五三」に因んだと云われる。
但し、現在のマークは孔雀からアレンジした、ブルーのものが使われている。
 玄関上の黒い横長の装飾プレートには、マークの両側にイソップ童話のウサギとカメがあしらわれている。
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 御堂筋を向かいへと渡って、本館を眺めてみる。
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ネオ・ゴシック様式に基づくアール・デコ調の建物の全体が見られる。
さて、このビルの背後にどのようなビルが建つのであろうか?
期待が膨らむところである。

 さてお土産に持って帰った穴子寿司を頂いてみよう。

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見た感じ、フワトロのようである。
タレも適度に掛かっている。
秘伝のタレだそうである。

 一口、口に入れてみる。
やはりトロトロで、美味いものである。
皆で突いたが、あっという間に無くなってしまったのであった。
 この店の親会社はTS水産と云う長崎県対馬にある会社である。
そして、この穴子は「西のとろあなご」というネーミングである。
 長崎県対馬は、韓国との国境に近い島で、全国でも有数のあなごの産地と云われている。
そして対馬産あなごの中でも、韓国との間で獲れる西沖の穴子は、東沖の穴子とは味が全く異なると言われている。
それは、対馬と韓国の間に流れる対馬海流のその海流の速さからあなごが力強く泳ぐので身が引き締まるとともに、プランクトンが大量に発生し、深海イワシ等あなごの餌となる海産物も良質に育っているからと云われている。
 そしてこの西沖で獲れるあなごのことを「西のとろあなご」と云い、肉厚で脂の乗りが良く、希少価値の高い、高級なあなごに仕上がると云われている。
 また漁であるが、対馬では古くから地引網漁とは違い、「かご漁」という漁法が用いられている。
穴子を丁寧に一尾一尾かごの中へ誘導、生け捕りし、傷を付け無いようにと心掛けられている。
 TS水産では、契約している漁船から水揚げされたあなごを、対馬の自社工場で加工し、全国の客先に配送しているとのことであり「西のとろあなご」と云う札が貼られている。
 そう云えば、かつて大丸にあった「HS」の穴子寿司にも、小さな西のとろあなごという札が貼られていたことを思い出した。
出どころは一緒であったのである。