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 JR東海道線の六甲道駅で途中下車した。
 いつも不思議に思うが在来線の東海道本線は東京駅から神戸駅まで、なのに東海道新幹線は東京駅から新大阪駅まで、そして在来線の山陽本線は神戸駅から門司駅まで、山陽新幹線は新大阪駅から博多駅までである。
線区の呼称であるが、大阪神戸間には何時も違和感が伴う。
 東海道という同じ名称を付けているのに区間が違う、この不整合はどうなのであろうか?
JRの社員達は何も感じないのであろうか?
 因みに、旧東海道は東京日本橋から京都までの53次、あるいは大阪高麗橋までの57次、そして旧山陽道は西国街道とも云われ、京都から下関までである。
従って近世までは、大阪神戸間は東海道と云うことは有りえない。
旧街道は良いとしても、鉄道路線は同じJRなので、合わさないといけないと思うが、どうであろうか?
恐らく新幹線は、建設の経緯と各分割会社の利権があれこれと絡むのであろう…。
親方日の丸の国鉄がJRに分割民営になっても未だに変わらない自らが中心の体質が変わっていないと思われてならない。
 今回は「東海道」ではないJR東海道本線の六甲道駅で途中下車した。
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丁度昼時であったので、駅周辺で昼食処を探した。

 駅に近いところに稲庭うどんの看板の店があったが、この間大阪で頂いたので今回はパス、更に探してみる。
その1本か2本西に洒落た店構えがあった。
表に海軍カレーの看板が出ていた。
 店の名は「ココネイロ」と云う。
月月火水木金金の海軍のカレーである。
曜日を確認するために金曜日にカレーを出すという海軍の伝統である。
 元の軍港に行けばこのように海軍カレーを出す店があり、食べたことはあるが、神戸でこのような店は珍しい。
これは食べてみないとと、ドアを開けて入ってみた。
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 先客は若いサラリーマン風が1名、1つ空けてカウンターに座った。
マスターも若そうである。
何か話し込んでいるようであったが、とにかくも海軍カレーを注文した。
 先ずはカレールーを温めている風である。
そしてご飯をカレー皿に盛り、上に温めたカレーを掛け、果物のデザート共に出してくれた。
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 さて、頂いてみよう。
ご飯は白ご飯でない。
マスターに聞いてみると、これは16穀米とのことである。
 これを切っ掛けに少し聞いてみた。
マスターは、海上自衛隊で13年間勤務した調理人だとのことである。
海自舞鶴基地の所属で、艦船に乗務していたそうである。
 確かに海自ではカレーを出したそうである。
乗員250人の艦船で炊くご飯の量は普通の食事では24kg、カレーの時はご飯が良く出るので、1割増しの27kgだそうである。
しかし、海自では、経費節減のために古古米を使用しているとのことで、少し可哀想な気もする。
 店のカレーは、その時の方法でのカレーで、じっくり煮込むこともレシピ通りとのことである。
アレンジなしで店で提供しているとのことである。
 食べてみるとカレーは、甘くもなく辛くもなく、丁度良い頃合いである。
ご飯はどうかと云えば、少し主張があるかなと云うぐらいの複雑な噛み応えである。
 マスターはこのご飯を、自衛隊で提案したそうであるが、経費が掛かり過ぎるとのことで、却下されたとのことである。
その後も海自のことやら、世間のことなどを先客も交えて、あれこれ話したのであった。
 せっかくのことだから少し散策してみよう。
駅の北側の道を東へ進むとやがて石屋川と云う川にぶつかる。
 石屋川を渡ると、堤防の下に綱敷天満神社がある。
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菅原道真公を祀り、公が大宰府に左遷された時にこの場所に立ち寄ったそうである。
そして住民たちが船の艫綱を捲いて座布団を作り、歓談した場所に創建された神社である。

 その神社の門前にはJR東海道線の高架橋があり、石屋川を渡っている。
しかし明治時代に東海道線が開通した時には、ここにはトンネルが設けられていた。
石屋川が天井川であるため、列車は川の前後の急こう配を越えられないためである。
 他にも、住吉川や芦屋川にもトンネルが設けられたが、この石屋川のトンネル開削が一番早く、日本初の鉄道トンネルと云われている。
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石屋川をもう少し下ると、国道2号線との交差の所に御影公会堂がある。
神戸爆撃でも、阪神淡路大震災でも壊れなかった建物である。

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 その川下向いに絵画が描かれた記念碑がある。
この付近が舞台である「火垂るの墓」であった。
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