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 神戸市の中央卸売市場の正面の建屋の2階には場外の食事処がある。
東京の場外市場は観光客も含め有名な所であるが、大阪や神戸の中央市場にも食事処があることはあまり知られていない。
 神戸に出かけたついでに、三宮花時計前を出発点とする神戸地下鉄海岸線の中央市場前で下車し、それを訪ねてみることにした。
 下車駅は中央市場前である。
階段を上がると中央市場の正面横の交差点に出る。
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 信号を渡り、本場関連棟のエスカレーターで2階に上がると10軒程度の店が並んでいる。
その中の一つ、安価に海鮮丼を食べさせてくれる店「海鮮食堂 EM」を訪ねた。
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 以前に来た時は7~8名の行列であったが、今回はちょっと少ない。
20分程待って店内に案内され、カウンターに座ったのであった。
店内はカウンターも含め20席足らず、調理場は若い大将が一人なため、そう回転は速くないのも頷ける。
 店員さんに海鮮丼(税別480円)を注文、ついでに味噌汁も頼んだ。
「みょうが、大葉は大丈夫ですか?」のカウンターからの大将の声。
「大丈夫です」と返答した。
 先客の半分ぐらいには、まだ料理が出ていないようであったので、これは掛かるなと思いつつ、じっと待つことになった。
 15分ぐらい待っただろうか? やっと海鮮丼がカウンター越しに手渡されたのであった。
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醤油ダレは目の前の瓶から注ぐようになっている。
直接掛けるのも良し、小皿に注ぐのも良し、好き勝手に食べることができる。

 魚は市場であるから新鮮である。
マグロ、タイ、ハマチ、コハダ、イカ、その上にエビとイクラがのっている。
タレを直接掛けて、さあ頂いてみよう。
 やはり新鮮である。
タイやハマチはプリプリ・コリコリである。
そして、エビはこの直前まで生きていた如くに、プリプリとして美味い。
タレの掛かったご飯と共に美味しく頂けたのであった。
 メニューにはたくさんの海鮮丼が写真と共に載せられている。
しかし、そう高くは無くリーズナブルである。
 また訪れてみようと店を後にしたのであった。
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 この神戸市中央市場のある場所は、奈良時代に開港された港である大輪田泊の周辺にある。
 平安末期、平清盛が日宋貿易の拠点として大いに栄え、現在の神戸の基礎を作ったと云われ、この地域の人達から「清盛公がいなかったら、現在の兵庫の発展は無かった」とされ、市民のシンボルとしての像が建てられている。
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 戦国時代には、池田恒興・輝政父子が荒木村重を滅ぼした功により、織田信長から兵庫の地を与えられた。
池田父子は花隈城には入らず、この地に兵庫城を築いて入城したのであった。
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そして秀吉の時代になると秀吉の直轄地とされ、織田時代の堺に代わって貿易のメッカとして復活し、その利益は豊臣家の懐に入った。
そのときは片桐且元が代官として配置されていた。

 しかし大坂城が落城すると、兵庫の地は尼崎藩に組み入れられた。
そしてその後、江戸中期には幕府の直轄領とされ、兵庫城址は兵庫津奉行所として機能したのであった。
 明治になり、奉行所は兵庫県庁とされた。
初代の知事はおなじみの長州藩士伊藤博文であった。
 その後、兵庫港の大幅改修がなされた。
城跡は全て取り壊され、和田岬を迂回せずとも西側から直接港に入ることができるように和田岬半島の付け根に兵庫運河が開削され、その後神戸市中央市場も開設された。
それ故、兵庫城があったところは運河の川底や神戸中央市場の下敷きとされていた。
 現在中央市場は東側の埋め立て地に移転されたため、その後市場の跡地、即ち兵庫城跡の発掘調査が行われた。
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その結果、天守台跡や、内堀の跡などの城郭構造が発見されるとともに、町屋などの遺構も発見されている。

 尚、この市場跡・城跡には近々IMの大店舗が進出するとされ、地域の地図がまたまた塗り替えられようとしている。