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 京都府の北部丹後半島の峰山に所用で出かけた。
峰山は丹後半島のほぼ中央に位置する町で、丹後半島一帯を市域とする京丹後市の中心の町である。
半島を横断している鉄道は、かつては国鉄であったが、現在は第3セクターの京都丹後鉄道、略して丹鉄が走っている。その峰山駅で下車した。
 丁度、昼時であった。
駅前で昼食にしようと駅のロータリーの周囲を眺めてみる。
一番近いところに「KN屋」と云う、洋風建物の店があった。
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しかし名前からすると昔からの駅前の料理屋と云う感じであろう。
早速入ってみた。

席は中央にテーブルと周囲が小上がり座敷である。2階にも席があるようである。
店は6割程度の込み具合、お茶と注文を聞きに来た店員嬢から、
「今日の定食はコレコレで、お勧めですよ」
と勧められたが、何か変わったものが無いかとメニューを丹念に見てみた。
そして見つけたのが「天ぷらラーメン」
早速注文して、暫く待つことになった。

 厨房内は忙しそうである。
客席との間にあるカウンターの上には幾つものトレーが並べられ、その上に小鉢や小皿が次々と並べられて行く。
おそらくはこれが定食なのであろう。確かに盛り沢山でお得なようである。
 それにしても、ラーメンを作っているような気配はない。
注文が通って無いのかと思いつつ、待ったのであった。
 すると突如として、天ぷらラーメンが届けられた。
厨房の死角の所にコンロ場があったのであろう。
その場所で、見えている料理人とは別の料理人が天ぷらを揚げたり麺を湯がいたりしていたのだろう。
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 さて、頂いてみよう。
天ぷらラーメンのトッピングはエビ天2本、茄子、カボチャ、ししとう、薩摩芋の天ぷら、そしてワカメ、葱である。
 スープはうどん出汁と同じような全くの和風である。
鰹節と昆布で出汁を取っているようである。そして少々塩辛さのある醤油味である。
麺はストレートの細い生麺である。
関西で云う「黄そば」に天ぷらを乗せた構成である。
逆に中華麺を蕎麦麺に変えるとそのまま天麩羅蕎麦になりそうでもある。
 肝心の天ぷらであるが、エビ天はプリプリで美味い。カボチャも柔らかくも硬くも無く美味い。
流石に料理屋だけあって、天ぷらの技術はしっかりとしている。
 ただしこの麺はスープを良く吸うのか、徐々に太くなってくる。
最後は少々伸び気味にはなっていたが、最後まで美味しく頂いたのであった。
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 さて、もう少し時間があるので近辺を散策してみよう。
峰山の中心街は駅の南の方にある。
生憎の雨であったが、南へと歩いてみることにした。
 少し行くと、官庁街となる。そこには新しく建てられた京丹後市役所がある。
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入ってみるとロビーに案内嬢がいたので、街の案内図を頂いたのであった。

 近場の名所は金毘羅神社とのことである。
そう遠くないので、行ってみることにした。
金毘羅さんと云えば四国である。何かの関係があるのであろうか?
 一の鳥居の向こうの境内はかなり広い。
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その奥に石段が山の上に向かっている。
石段の上には見事な楼門が建っている。

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 楼門を潜っても更に石段である。
途中に、子供を抱えた狛猫がある。珍しいものである。
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 さらに石段が続き、やっとのことで拝殿本殿に到着し、お参りを済ませたのであった。
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 帰りに社務所にてご朱印を頂きがてら、この神社の成り立ちについて聞いてみた。
やはり四国の金毘羅さんの勧請であった。

江戸時代の峰山藩の藩主は京極氏である。
また、四国丸亀藩や多度津藩の藩主も京極氏で同族である。
その縁でこのように出来たそうであった。

 金毘羅神社を後に街中の道を西へと、峰山の中心街へと向かう。
途中には、かつては商家だったのであろうか、平入りの立派な町屋も見られる。
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 中心街には、昭和2年に発生し、使者3000人を出した北丹後地震を記念として建てられた丹後震災記念館、また、プロ野球の野村克也氏の母校である峰山高校などもあった。