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 所用があり栃木県の県庁所在地である宇都宮市の東武鉄道宇都宮駅で下車した。
東武の駅は新幹線も停まるJR宇都宮駅から市内の大通りを西へと抜けた辺りにある。
 この日は宇都宮泊である。
となると、夕飯である。
駅近くを散策してみることにした。
 宇都宮と云えば餃子が良く知られる。
静岡県の浜松市と毎年毎年熱い餃子戦争(1人当たりの餃子年間購入金額)を繰り返している。
一昨年は宇都宮がトップを奪還したが、去年は浜松がトップとなった。
果たしてことしはどうなるのであろうか?
 先ずは餃子を一口味わってみようと、駅近の店に入ってみた。
色んな餃子がメニューにあるが、基本的な餃子を注文した。
夜であるので合せてグラスビールもである。
 暫くして、餃子とビールが出てきた。
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タレに浸して食べてみる。
感想は「これが宇都宮餃子ね…」。
いつも食べている餃子とその違いは良くは分からない。
宇都宮餃子を食したという記憶だけが残された餃子であった。

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 さて、栃木に来たからには佐野ラーメンである。
観光地図を参考に近場を歩いてみた。
あったあった。
栃木県庁と宇都宮市役所を結ぶ「中央通り(出世街道と云う)」と、空爆にも負けなかった大銀杏が立っている「いちょう通り」の交差点にあった。
もっと言えばその大銀杏の交差点を挟んで向かい側にあった。
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店の名は「MN屋」と云う。
入口には横向きに、ある佐野ラーメン店の老舗の幟が暖簾代わりに吊るされている。
その店に本格的な佐野ラーメンを期待して、入店したのであった。

 店の中は7~8席のカウンターと5か所ほどの小上がり座敷である。
ラーメン屋と云うよりも居酒屋と言った方がぴったりの店内である。
既に飲み始めている先客グループがあり、少々賑やかな店内でもある。
 注文はラーメンとした。
 待っている間にも、座敷客からの飲み物や料理の注文で店内は忙しい様子である。
10分ぐらい待った。
ラーメンがやっと出てきた。
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 トッピングは、角切りのチャーシュー2枚、白ネギと薬味ネギ、そして板海苔である。
見た感じは関東で良く見かける平均的な醤油ラーメンである。
カウンターにニンニクが置かれていたので、潰して振り掛けてみた。
 さあ、頂いてみよう。
やはり関東である。スープは薄く澄んではいるが、鶏ガラ/豚骨の出汁で濃厚な塩味である。麺はと云うと、縮れ麺で、どちらかと云うと細い感じである。
佐野ラーメンの一つの特徴の青竹打ちの麺である。
スープが良く滲みて、美味い麺である。
尚、麺は表の暖簾の店から仕入れているとのことである。

 チャーシューは見た感じと同じで、大変柔らかい。
値段も合せてトータルで満足して、店を出たのであった。
 さて、この近くに宇都宮城跡がある筈だが、明日の朝一に見てみようとホテルに向かったのであった。
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 翌朝、再びラーメン屋の方向へ向かった。
ラーメン屋の交差点から300mほどの東南方向の本丸町に宇都宮城跡がある。
 いきなり目に飛び込んで来るのは復元された清明台である。
この清明台は江戸時代は、天守の代用とされたものであった。
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 宇都宮城は、平安時代に宇都宮氏の祖と云われる藤原宗円が築城したと云われる。
その後、城主の宇都宮氏は鎌倉幕府の有力な御家人となり、戦国時代にかけて城主としてこの地を支配した。

 しかしその後、豊臣秀吉に突如改易され、蒲生氏郷の息子である蒲生秀行が城主となった。

関ヶ原で徳川が勝利すると、京都の警備で戦功のあった奥平家昌が入城した。
その後、徳川家康の謀臣であった本多正純が入城し大改修を行った。
堀を掘削した残土で土塁を高く積み上げ、天守の代わりに冒頭の晴明台を設け、又将軍の宿舎となる本丸御殿を設けた他、城の縄張りや、城下町の再構築を行ったと云われる。

 本丸跡とそれを取り巻く堀、土塁、2つの櫓、土塀は現在城址公園とされている。
 堀の外側から眺めると、冒頭の清明台の反対側の富士見櫓がある。
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そして清明台と富士見櫓の真ん中あたりの土塁はくり貫かれ、おほり橋が架けられ、そこから内部へと入ることができる。

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 宇都宮城は、戊辰戦争で焼失した。
明治時代には、下総野鎮撫府が置かれ、その後東京鎮台歩兵連隊が駐屯したがそう長い間ではなく、軍隊撤収後は民間に払い下げられ、公園として活用されてきたものである。
 そして、今から8年前、土塁や土塀、そして2つの櫓が再建されたと云う経過を辿っている。
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