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 兵庫県神戸市の北の有馬温泉の更に北に三田(さんだ)市と云う街がある。
近年、ニュータウン開発が進み、大阪や神戸のベッドタウンとして、多くの人々が住まいしているところである。
 この三田市の近傍に用があったので出かけ、余った時間で駅近の街中を散策することにした。
三田は古い城下町で、往時を偲ぶことができる所である。
しかしその前に腹ごしらえをと、駅近辺で三田らしい食べ物を探した。
 三田というと近代的な工業の他に、農業や畜産の街でもある。
街の所々に現地の新鮮な農産物を駆使した料理を扱う店が幾つかあるが、どれが良いか分からない。
そうこうしている内に「淡路島カレー」と全文字漢字で書かれた垂れ幕を出している店を発見した。
居酒屋風の店で「QTM酒場」という屋号である。
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 三田で淡路島とはどういうことであろうか?
早速、入ってみた。
店内はカウンターとテーブル席の店である。テーブルは4つ5つあり、40人くらいの店である。
カウンターに座り、中にいる料理人に淡路島カレーのSを頼んだのであった。
料理を待つ間と云うものは、手持ち無沙汰なものである。
 カウンター上に新聞の切り抜き記事のコピーと、料理メニューに付属した淡路島カレーの旨さの説明があったので、時間つぶしに見てみた。
 新聞記事によると、終戦で満洲から引き揚げた淡路島の出身者が三田の広野地区に入植し、田畑を開墾したり、酪農を始めたりで、「淡路開拓村」と呼ばれるようになった。
その開拓村の1人であるYK氏が、三田駅近で居酒屋を営業してが、そこにNPO法人淡路島活性化推進委員会から淡路島カレー販売の話が持ち込まれ、昨年から販売を始めたとのことである。
ここに三田と淡路は繋がったのであった。
 このNPO法人はかなりのやり手で、カレーの専門店では無く、一般の店舗にて淡路島カレーを扱う店を既に全国で100店舗以上も開拓した強者である。
 また味の能書きで淡路島カレーは、他のカレーとは違いルウに3つの味を持っているとの説明がある。
先ずは「甘さ」は日本一の糖度の淡路島産プレミアム玉ねぎと9種類のフルーツとのこと、「コク」は鶏ガラ椎茸のスープとデミグラスソースとのこと、そして後からジワジワ効いて来る「辛さ」は唐辛子と16種類のスパイスとのこと、と説明されている。
 そして、トッピングのカラカラに揚げたフライドオニオン、スタウトビールで炊いたポーク、そして甘辛いピクルス、これらがカレーのハーモニーを醸し出しているとのことである。
 そうこうしている内にカレーが出てきた。
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さあ、頂いてみよう。

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 ルウは能書きの通り、カレーにデミグラスソースを加えたような味である。
マッタリとはしているが、カレーの辛さもある。
 トッピングのフライドオニオンはこれが玉葱かと思うほどカリカリとそして甘味がある。
また、スタウトポークは、かなりの柔らかさである。ラーメンにも柔らかいチャーシューが乗っていることがあるが、それに匹敵するような感じである。
 勿論のこと、ご飯の米も豚も三田産である。そして当然ながら玉葱のみが淡路産である。
このカレーは全体バランスが良い。ピクルスも頂きながら、美味しく完食したのであった。
この三田市の中心街から武庫川を渡り西の方向に少し行った所に三田城跡がある。
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三田城の第一世代は、戦国時代に赤松氏が有馬に侵入し、その一族である有馬氏が三田城を築城したと云われている。
有馬氏の家臣の車瀬氏が縄張りをしたので車瀬城とも呼ばれた。

 その後、荒木村重の支配下に入ったが、村重は織田信長に謀反をしたとのことで、秀吉や光秀に攻められ落城した。
その後、池田氏、山崎氏が城主となったが、関ヶ原の後、再び有馬氏が、その後松平氏が城主となった。
 大坂の陣の後、内紛が起きたという口実の下、鳥羽の九鬼氏が陸に上げられ、この三田と綾部に分割移封された。
三田には4男九鬼久隆が3万5千石で初代藩主となり、三田陣屋として城を整備した。
この陣屋跡地は、現在は三田小学校となっている。
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また、その南の大池で九鬼氏は水軍の訓練をしたとも云われる。

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 三田九鬼氏は後には城主格と認められたようで、再び三田城と称したと云われる。
陣屋前の濠を挟んだところは、旧城の建物があった所で現在古城と呼ばれ、県立有馬高校が建てられている。
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 最後の城主、九鬼隆義氏は廃藩後三田藩知事に任じられた。
そして神戸にて輸入洋薬の商社「志摩三商会」を設立するとともに、神戸女学院の設立にも尽力し、キリスト教の洗礼を受けたと云われる。また九鬼藩主は、家臣の功績に応える手だてがなかったので、九鬼姓を与えたと云われる。
その家老の娘婿九鬼隆範は当時日本の鉄道建設の技術者であるとともに、家老家にふさわしい住宅を設計し、建設したと云われる。

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 この住宅は現在も旧九鬼住宅として残っている。
当時は珍しい洋風のベランダを備えていて、観光の目玉となっている。

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