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 京都の伏見に用があったので出かけた。
このようなときは少し時間の余裕を持って出掛け、近隣の名所と昼食を楽しむことにしている。
 京阪電車の伏見稲荷駅で下車し、先ずは伏見稲荷へ参拝しようと表参道の入口、一の鳥居まで裏参道と伏見街道を歩いた。
 なぜだか人が多い。それも日本人だけではない。
どちらかというと外国人の方が多いようである。
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 参道に建てられた幟には、外人観光客2年連続全国ナンバーワンとある。
朱色に染られた神社は、殊の外興味がそそられるのであろうか?
神社付近や参道の商店街にはまたとない上客となっているののであろう。それはそれで結構なことであろうと思う。
 伏見稲荷大社は、古代に渡来し京都に根を下ろし京都の開発に貢献した秦一族のリーダー、秦伊呂具(はたのいろぐ)によって創建されたものである。
 戦国時代、全国統一を成し遂げた豊臣秀吉は、出世開運、商売繁盛などの現世の御利益を受けるこの稲荷神社のへ崇敬が篤く、聚楽第内には出世稲荷神社を祀った。
 そして秀吉は、伏見城を築城し城下町を整備したとき、稲荷大社の楼門の大修復工事を行っている。
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そして伏見城内には、満足稲荷神社を祀ったと云われている。

 当時は、伏見は日本の中心地となっていたので、城下には各国の大名屋敷もあり、その隆盛につられて多くの市民も稲荷に参拝をし、全国に稲荷信仰が広められたとされている。
 楼門を潜り、その先の外拝殿の向こうこの内拝殿は唐門風、そして更に背後の本殿には 稲や農業・食糧の神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」別字で「倉稲魂神」を主祭神とする5柱が祀られている。
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 この神社は東山三十六峰の一つ稲荷山233mを神域とし、山を巡る参道に沿って多くの神社が祀られていて、順次お参りすることができる。
その入り口には千本鳥居の参道が設けられていて、独特の雰囲気である。
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その千本鳥居の終点である奥社までお参りしたが、人の多さに圧倒されたので、そこそこに下山した。
 そして昼食処を探すことにした。
 帰りは裏参道から退出する。先ずは両側に屋台、そしてその先は商店街が続いている。
きつねうどんといなり寿司は何処の店にもありそうである。
そして、伏見名物のスズメやウズラの姿焼き鳥も販売している。
どの店も観光客が集まっていて、何やら店員さんと喋っている。賑やかである。
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 この雰囲気を避けようと、参道を進む。
JR奈良線の踏切、京阪電車の踏切を越え、更に西へ進むと師団街道に突き当たる。参道の終点である。
 師団街道とは聞き慣れない名前であるが、明治時代に陸軍の第16師団が伏見に駐留していたことからの名付けである。
余談であるが、この師団本部の建物は稲荷大社の少し南に残っていて、現在は聖母女学院の本館として使用されている。
 その師団街道を渡った所にうどん屋さんがあった。
「KD屋」と云う。稲荷の門前なので、きつねやいなり寿司が期待できる。
表に数名の行列ができていたが、その後ろに並んだのであった。
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 五分ほど待って、案内された。
カウンターに腰かけ、メニューを見てみる。
 当然のことながら、きつねうどんやいなり寿司は外せない。
うどんでなく蕎麦も美味そうである。
少し悩んだ末、あんかけのきつね蕎麦といなり寿司を注文したのであった。
 料理を待つ間に少し考えて見た。
京都ではあんかけうどんのことを「たぬき」という。
恐らくは蕎麦でも「たぬき」と云うのであろう。
 一方大阪では「たぬき」と云えば油揚げをトッピングした蕎麦のことを「たぬき」と云う。
そうなると、この料理はどうなるのであろう。
京都のひとに云わせると「きつねたぬき」であろうか?
大阪のひとに云わせると「あんかけたぬき」であろうか?
両方とも「たぬき」には違いないが、ややこしい料理である。
 と悩んでいる内に料理が出てきた。
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さあ頂いてみよう。

 先ずは蕎麦、あんはあまりネバネバせず、ほんのりとしたあんで食べ易い。
蕎麦は白い信州そばに近いもので、麺の抵抗感がないのは嬉しい。
 出汁は昆布と鰹節で、結構コクがある。
京都では利尻昆布を使うのが普通なので、恐らくはそうであろう。
 次にいなり寿司、黒胡麻を混ぜた酢飯を、少し甘く炊いた油揚げで包んでいる。
このあたりはいなり寿司の本場、その味を感じたのであった。