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 JR山陽本線の姫路駅は、山陽電車に乗り換えたり、市内に用があったりで、良く利用する駅である。
 また通りがかりで昼食の時間帯になると途中下車して、駅近の店に向かったりもする。
 ある日、山陽電車に乗り換える前に昼にしようと、山陽電車の駅ビルにある「HM」と云う店に入った。
 この店は何度か利用している。
 うどん・そばやカレーのセルフの店である。
 いつも同じものではと思い、ポスター状のメニューを改めて見てみた。
 あんかけカツ丼と云うメニューがあった。
 カツ丼と云うと、関西では玉子とじが多いが、最近は他地方からの影響であろうか、ソースかつ丼や味噌カツ丼を出す店もある。
 あんかけとは珍しい。
 何か美味そうな写真も付いている。
 今回はこれにしようと食券を自動販売機で求め、カウンターに差し出したのであった。
 店は8割方の入り。
 空いている席を見つけ、暫く待ったのであった。
 食券番号を呼ばれて受け取りに行った。
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 醤油だれにとき玉子を散りばめたあんが掛けられている。
 トッピングは刻み葱と刻み海苔、シンプルな感じである。
 先ずはあんを味わって見る。
 少し甘めである。
 あんだけでは甘めであるが、カツとご飯を合わせて食べると丁度良い味となる。
 絶妙である。
 しかし、葱は余計かも知れない。
 青っぽい香りと味が少し邪魔をしている。
 と、何やかやと云いながら完食したのであった。
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 それから数日後、またもや姫路駅で昼食となった。
 今度は途中下車なので、駅構内で探す。
 駅のホームに店を構えている黄そば主体の店「えきそば」が駅地下にも店を出しているのを見つけた。
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 メニューを見てみる。
 牛蒡のかき揚げが美味しいので、いつもならそれにするが、冬季限定あんかけそばと云うのが目に付いた。
 限定と付いているなら是非味わって見ようと、食券を購入、カウンターに座った。
 あんは注文があってから、鍋に出汁と片栗粉でとろみをつけているようである。
 少し手間がかかるようである。
 駅のホームではないので、急がない客が多いのであろう。
 順番もあるので、7~8分待たされやっと出された。
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 そばが埋没するまであんが掛けられている。
 トッピングは刻み生姜、紅生姜、それに青菜の葉、蒲鉾、そしてキノコ少々に、相当量の刻み揚げである。
 先ずはあんを一口、そば出汁そのままの少し辛めの味である。
 この前のカツ丼とはかなり違う。
 次に大量の揚げを一掴み、これは甘い。
 きつね用に味付けしたものを刻んで乗せているようである。
 全体を混ぜると辛味と甘味がマッチし、生姜味も効いたあんかけそばとなり、最後まで美味しく頂けたのであった。
 姫路にはあんかけという文化があったのであろうか?
 良くは分からないが、なぜか姫路であんかけに遭遇した2つの昼食であった。
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 さて、姫路と云えば姫路城天守の平成の大修理が完了したところである。
 この3月27日から天守内に入城できるというスケジュールになっている。
 駅の2階のロビーから姫路城を正面に見ることができる。
 全体が白く見え、正に白鷺城と呼ばれるにふさわしいものとなっている。
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 尚、余談であるが、姫路城の歴史を見てみると、
 鎌倉時代、この姫山に播磨を支配していた赤松氏が砦を城郭化したのが姫路城の最初である。
 室町時代の嘉吉の乱にて山名持豊に城を奪われ、山名氏が支配した。
 そしてその後の応仁の乱では、赤松氏が城を奪還し領国を回復、一族の小寺氏が入城した。
 しかし小寺氏が御着に自らの本城を築いたため、重臣の黒田氏が姫路城を預かった。
 秀吉の播磨侵攻に伴い、黒田氏の官兵衛は秀吉に城を譲ったことは良く知られている。
 そして秀吉天下の時代には、おね方の木下家定が16年間城主を務めた。
 関ヶ原の戦いの後は池田輝政が城主となった。
 その後池田氏が鳥取に移封されたため、松平氏、本多氏、榊原氏、酒井氏と順次徳川親藩・譜代が城主を務め、明治を迎えた。
 このように、城主が入れ替わり立ち代わりであった。
 明治になって競売に掛けられ、市民の方が落札したが、その後、陸軍省が師団本部用にと買い取り、利用・維持されたと云う経過がある。
 その後、紆余曲折があったようであるが、何をさておいても太平洋戦争での空爆から逃れたというのは幸いであった。
 そして姫路市長を中心とした保存運動もあった。
 その結果、昭和の大修理を経て、今回の平成の大修理を終えたと云う姫路城である。