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 大阪市大正区は沖縄出身者が4分の1も居住するという、いわゆるリトル沖縄である。
今回はその沖縄を少しでも感じてみようと、JR大阪環状線大正駅で途中下車した。
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 大正区は木津川と尻無川に挟まれた区である。
大正という区名であるが、大正時代に初めて橋が架けられて大正橋と名付けられた。
その大正橋からの名付けである。
 先ずは、沖縄に関わる料理を昼食にと、駅の周りを歩いてみた。
駅近は、何処の駅でも同じような店があるだけで、沖縄を感じるそのような店はなかなか見つからない。
区の中央を通っている大正通りを海の方へ行き、平尾辺りがそのようであるが、そこまで行く時間的な余裕はない。
とにかく近場を探してみた。
 偶然にもガード下で「ICRB」という沖縄料理の店を発見した。
沖縄そばやオリオンビールの幟が建てられている。
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これは間違い無いと、早速入ってみた。

 店は満席のようである。
しかし、直ぐに先客が席を立って勘定をするところであった。
後片付けを待って、窓側のカウンター席に座ったのであった。
 店内は、通りの窓側が全て窓に向いたカウンター席で7~8席ぐらいか…。
内部はテーブル席が幾つかあるようである。
 お茶が出て注文となった。
迷わず基本となる沖縄そば単品を頼んだのであった。
 待つこと5分ぐらいか? 沖縄そばが出てきた。
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 以前に沖縄那覇で食べたのと同じ雰囲気のものである。
半透明の柔らかそうな出汁に平打ちのそば麺、三枚肉煮豚のスライス、渦の無い鳴門の沖縄蒲鉾、そして刻み葱を浮かべ、生姜が一つまみ乗せられている。
 さて頂いてみよう。
 出汁はスッキリ、サッパリしている。
豚骨ベースなのかどうかわからないが、よくあるうどん出汁かそば出汁のようである。
 麺は太目の玉子を使わないラーメンのようである。
全体として関西で言う「黄そば」のような感じである。
沖縄と云うと、こってりしたものを想像しがちであるが、あっさりとさらさらと完食したのであった。
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 さて、沖縄そば…、その歴史を探ってみる。

沖縄で小麦粉の麺が広く知られるようになったのは明治後半だそうである。
沖縄に来た中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋がルーツであると云われている。
以降、街中にそば屋が増え、大正のころには、庶民が気軽に食べられる料理となった。

当初は豚をベースにした醤油味のスープで、具も豚肉とネギのみと、いわゆる支那そばと同じようなものであったが、その後、徐々に変わって行き、今日の姿になったと云われている。
麺は中華麺と製法が同じであるが、ガジュマルの灰汁を加える場合もあり、沖縄独特で「琉球そば」と云われた。

この沖縄では「そば」と称されて、食べられてきた「そば」ではあるが、呼称がややこしくなったのは、沖縄が本土へ復帰以降である。
国内の食品の表示法が適用されたからである。

良く御存じのように「そば」とは、そば粉30%以上、小麦粉70%以下のものを云うので、そばには該当しないというクレームが付けられたのであった。

 しかし戦前より、ずっと一貫して「そば」と呼ばれて、親しまれてきたものを守れとの機運が強く、組合が精力的に動いた結果、「沖縄そば」の呼称が県内のみ使用可、と限定認可されたのであった。

沖縄県にはそばを販売する店が2000軒以上はあるという。
一日15~20万食販売され、まさに香川の讃岐うどんのように、沖縄を代表する料理になっているとのことである。

 さて、大正まで来たからには大正ドーム(京セラドーム)を見てみようと、尻無川に架かっている岩松橋を渡って行って見た。
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 夜には野球があると思われるが、まだ殆ど人はいない。
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中に入って周回の廊下を周ってみた。
ビアホールがあったりファーストフードの店があったりする。
店の向こうにはグラウンドが見えている。
なるほどなるほど…、ビールを飲みながらの野球観戦、今度はしてみよう。

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