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 奈良に出かけるとついつい買ってしまう名物がある。
それは銘酒「春鹿(はるしか)」の超辛口である。
 奈良ではスーパーや土産物店に置いているので、楽に手に入れることができる。
 春鹿と云う酒銘であるが、春鹿の酒蔵は奈良公園の近くにあるので、酒銘の由来は公園の桜の下で遊ぶ鹿の様子から名付けたものかと思っていたが、それは間違いであった。
 蔵元によると、春鹿の銘は春日の神々が鹿に乗って奈良の地へやってきたという伝説から、まず「春日神鹿(かすがしんろく)」と名付け、その後「春鹿」と改めたと云う。
 この蔵元の今西家は、代々春日大社の神官をつとめていた由緒ある家柄である。
春日大社に現存する日本最古の酒蔵「酒殿」で白酒(しろき)・黒酒(くろき)を絶えることなく醸し続けていた家柄である。
 それが明治時代の中ごろに神官を辞し、町中で酒造りに専念したのが「春鹿」の始まりであると云われている。
春鹿はそのように神にまつわる由緒多き酒なのである。
まず、もちいどのセンター街にあるスーパーで超辛口を購入した。
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 しかし今回は春鹿だけでは満足しない。
 もう一つは奈良漬である。
日本で唯一純正と呼称されている奈良漬がある。
江戸時代末期に創業した今西本店の奈良漬である。
絶品と云われている。
 次に駅に近い今西本店に向かう。
お店の店員嬢の説明によると、甘味料・保存料・着色料等を全く使わず、酒粕だけで漬け込んだものと云う。
そして瓜は3年半、胡瓜は8年、西瓜で9年もの間、幾度も幾度も漬け替えし、塩分と水分を抜く事を繰り返している。
場合によっては更に長く漬けるものもあるらしい。
 買って帰っての保存は冷蔵庫は不要で、そのままで2年はもつそうである。
食べる場合には、粕を落として2~3日そのまま冷蔵庫で冷やしておく。
そうしてから食べるとアルコール分が抜けて、アルコールに弱い人にも大丈夫で、美味しく食べられると云うことであった。
 色の黒い試食品を頂いた。
深い味わいであるが、少々苦味があるような気がする。
早速、瓜を購入してみたのであった。
 持ち帰り奈良漬を肴に春鹿で一杯という寸法である。
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 せっかく奈良に来たのであるから、このままだけで帰るのは惜しい。
近鉄奈良駅の近くを見学して行こう。
 南や東の奈良公園方面には良く行っているので、今回は行ったことのない北の方向を見てみよう。
 駅から北へ少し歩いて行くと、奈良女子大学がある。
この大学には、かつて岡潔と云う凄い数学者の先生がいたことで知っている。
そして卒業生の有名人には、日本画家の小倉遊亀がいる。
またシンガーソングライターの辛島美登里もここの出身であることぐらいは知っている。
 大学の中身はともかく、正門から眺めるここの本館はことのほか美しい。
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 重要文化財となっている。
正門と守衛室も重要文化財となっていて、飽きることなく眺めたのであった。
 女子大を後に、横の道を西に向かう。
やすらぎの道と云う広い道と交差する。
このやすらぎの道を北へ行くと、鴻ノ巣の運動公園の中を通り、廃園となった遊園地奈良ドリームランドの跡地を左に見て、京都府の木津川市に至る。
 この道との交差点に「茶道発祥の地」という石碑が立っている。
草庵の茶・わび茶の創始者、村田珠光がこのあたりに居たことによるものである。
珠光と云えば、あの千利休の先生武野紹鴎のそのまた先生と云われている。
 珠光は父により、この石碑の先にある称名寺という寺に入れられたが出家を嫌って京都へ行き、茶の湯を学んだと云われる。
そして30歳のころ臨済宗大徳寺派の一休宗純(とんちの一休さん)に参禅し禅僧となった。
それに、室町8代将軍、足利義政の同朋衆であった能阿弥と知己であり、彼の引き立てにより義政の知遇を得て、銀閣寺の建立に合わせてその一堂である東求堂に4畳半の茶室「同仁斎」を作り、わび茶を確立したとの謂れのある人物である。
 ここまで来たらついでであるから、その称名寺を訪れてみよう。
この寺は鎌倉時代の創建で、興福寺の別院として四宗兼学の寺として栄えていたが、明治の廃宗により興福寺を離れ現在に至っている。
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 珠光が京都で茶の湯を大成してから、青年期を過ごしたこの寺に茶室「獨盧庵」を設けたと云われる。
その茶室が残っているが、一般公開はされていないのは残念であった。

さてと、お土産、といってもそれは自分用であるが、超辛口と奈良漬、帰ってから丁度3日後に頂いた。
春鹿超辛口と純正奈良漬、その組み合わせは古都の香りがしたのは云うまでも無い。