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 大阪のミナミの道頓堀は昼間から賑やかな通りである。
この界隈には所用が無いので行くことはめったにないが、近くを通ることがあったので行ってみた。
地下鉄日本橋駅で途中下車し、少し北へ行って道頓堀の筋を西へ、賑やかな方に向けて歩いて行く。
最近は観光地へ行くと外国語が多く聞かれるようになってきている。
 外国の若者が年配の親であろうか?案内して日本を見せている。
外国との政治的関係では色々あろうが、それはそれで嬉しいことである。
 暫く行くと左手に「大たこ」という屋台があった。
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 例の大たこである。
 今はこんなところにあるんだ。
かつて、裁判で「不法占拠の場所を明け渡せ」だとか「借地料を払え」だとか「借地の権利がある」とかで揉めていたなぁ…。
以前は、現在の屋台の場所を前に入った橋の手前にあって、いつも人垣のように行列ができていたけど…。
と、独りごとを云いながら、前にあったその場所へ行って見た。
 その橋の名は「大左衛門橋」という。
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 橋の手前(南詰)に幾つものプランターや青色のコーンなどが置かれている。
 そうか…、立ち退きの跡はこうなっているのか…。
今の屋台も道路の上だけど、そこは大丈夫なのかな…?
全て解決したのなら良いのだが…。
 あれこれ思いながら、現在の屋台の前に戻ってみた。
せっかくだからタコ焼きを食べてみようと、6個入りを注文した。
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 発泡スチロールではなく木の薄板の船に入れてくれる。
それはそれで情緒がある。
早速立ち食いである。
茹でタコの切り身が少し大きいかなとは思ったが、少々噛み応えがある。
タコ焼きの味はといえば、取り立ててと云う程の味では無かったのは残念である。
 この屋台の近くを見回してみると、タコ焼き屋がいくつかある。
長い行列ができている店もある。
なるほど、なるほど…。
「大たこ」騒動で、この辺りがタコ焼きの中心街となってきたのだな…?
漁夫の利のような店達なのだろうか?
大阪の商売は激しいものだ…、と思った。
 振り返ればこの「大たこ」と云う店、良きにつけ悪しきにつけ大阪のタコ焼き業界への貢献は大であろうと思われる。
道頓堀のこの場所で一世を風靡し、タコ焼きブームを創ったことは間違いがない。
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 場所を不法占拠されている側の大阪市のホームページでも、以前には観光ポイントとして紹介されていた。
同じ役所の中なのに奇異な感じはするが、法律は法律、観光は観光と割り切っていると思えば良い。
当局の評価はそれなりに高かったのであろう。
もちろん、大たこは屋台の営業許可も与えられていたとなれば、更に奇異に感じる。
行政の縦割りの故なのであろう。この騒動、大阪市はこのような出店が市保有の土地のあちこちにできると、市民平等という観点から立場上困る筈である。
その防止の意味が大きかったのであろうと思われる。

 それはそれとして折角の機会なので、タコ焼きの歴史について考えてみる。

溶いた小麦粉を焼いておやつ感覚で食べる料理には大きく分けて2つの系統がある。
云わずと知れた「お好み焼き、もんじゃ焼き」と「タコ焼き」であるが、そのルーツは「ふの焼き(ふな焼き)」である。
これは千利休が考え出したと云われ、江戸時代以前に遡る。

当初は単に小麦粉を水で溶いて焼くだけで、具のないものであった。
 それに具を混ぜる、焼く鉄板の形に変化を付ける、出来上がりにウスターソースを掛ける、この3つの工夫で、それぞれ現在の形に発展してきているのである。
 タコ焼きはこの3つの要素を全て取り入れている。
明治・大正の時代のことである。
平らな鉄板に半球形の凹部を規則的に設け、その鉄板の上で、こんにゃく、ねぎ、しょうが、天かす、などの具を混ぜて焼いた。
そうすると焼き上がりに突起(ちょぼと云う)ができているので、「ちょぼ焼き」と云って子供たちに親しまれた。

 これが変化の始まりである。

昭和になって、具にも鉄板にも改良が加えられた。
具には、おでん種の牛スジ肉やこんにゃくが使われ、鉄板の凹部を半球形にして、その中で丸めてボール状に焼き上げられた。
そのころ始まったばかりのラジオの話題性と高級さにあやかって「ラジオ焼き」と名付けられた。

このラジオ焼きを、明石焼きに習って、タコと鶏卵を使うことで改良したのが会津出身の遠藤留吉氏である。
昭和の10年、氏は大阪の南部に店を構え、初めて「タコ焼き」の暖簾を掲げたと云われている。

 現在もこの店は支店も含め、手広く展開している。
この店「AD屋」のタコ焼きは、焼き上がり状態で味がついているので、ソースを掛けないで食べるのが普通である。また別の店では『大阪出る時、連れてって!』のCMでおなじみの「TM」、空港や駅の売店で冷凍たこ焼きを大阪土産として販売している。
 冬の寒い時期の飲み会の帰り道、路上でタコ焼き屋台を見つけたりしたら、ついつい買ってしまうタコ焼きである。
 大阪の粉もん文化、今後どのように変わって行くのであろうか? 楽しみなものである。