1
 今年の秋はことのほか桜の紅葉が赤く美しい。
一時寒い日が続いたことがその理由であろうか?
 奈良県橿原市に所用があり、出かけたついでに奈良公園の紅葉の具合を見てみようと、大和西大寺で電車を乗り換え、近鉄奈良駅に行った。
イメージ 2
 奈良駅に着いて、公園までは歩いて直ぐだが、そこはまず腹ごしらえを…。
駅のまん前、「東向き商店街」入り口の「本舗T」という柿の葉寿司専門店に行き、その店の奥にある「柿の葉茶屋」の席に座った。
 奈良にも沢山の名物料理がある。
大和の茶がゆ、茶飯、三輪のそうめん・にゅうめん、それに奈良漬やゴマ豆腐、そして柿の葉寿司であろか…。
 柿の葉寿司は駅売りやデパートで良く目にする。テレビ・ラジオのCMも行き届いている。
たまにはお土産で買って帰って食べる機会はあるが、お店に入っては初めてである。
 早速注文した。まずは鯖と鮭、この2種類である。
柿の葉寿司は、具とすめしを大きな柿の葉っぱでくるんで、一晩重しをした押し寿司である。
イメージ 1
 柿の葉は食べないので、それを剥きながら開いて寿司を取りだすのも、期待感が高まる。
長さ5cmぐらいの一口サイズであるが、その食感は一般の押し寿司とは違い、まろやかで食べ易いものである。
 柿の葉寿司4貫(4個)と澄まし汁を頂いた。
観光気分で食べる名物は、ことさら美味しいものである。
まだ入りそうであるが、腹八分目で置いておこう。
 海のない奈良で、なぜ魚を使う寿司が? と云う疑問を持っていた。
そこにはこんな謂われがあったのである。
 鯖街道と云う運搬路が若狭と京都を結んでいるが、それと同じ考えである。
紀州熊野灘で取れる脂の乗った鯖を運んだのであった。
しかし陸路ではない。
船で大量に運べたのである。
 江戸時代には紀ノ川の水運を利用して、「川上船」云われる船が海産物やその他の物資を和歌山城下から上流の橋本まで運ばれていた。
 この橋本は高野山の麓の街、そして紀州藩から塩の専売権も貰っていたので、人が集まり、物資の集散地と共に、市も開かれていた。
 中でも鯖は、海の魚として珍重され、和歌山城下に届いたものを、川上船に乗せて、上流の橋本まで運ばれていた。
その間は腐らないよう、もちろん塩をしていたのは云うまでもない。いつも鯖が到着する橋本では知恵が働いた。
鯖を美味しく食べる方法として考え出された料理が柿の葉寿司である。
                2
 なぜ柿の葉が使用されたか? その理由は簡単である。
この橋本周辺が全国でも有数の柿の産地であったことである。
 もともと、紀州には江戸以前から酢を使わない発酵させて保存する”なれ寿司”というものがあった。
炊いた米と鯖を合わせて、アセの葉にくるんで、樽中で重しの力で発酵させるものである。
 別名くさり寿司とも云い、現在でも名物として存在している。
発酵するかしないかの微妙なところで食べる”はやなれ”もある。
これが柿の葉寿司に近いものと思われる。
 江戸時代になって食酢の流通が盛んになった。その酢を使って、現在の柿の葉寿司の原型が生まれたと云う。
 そして鯖は、柿の葉寿司や塩とと一緒に、紀ノ川の更に上流の吉野川流域まで運ばれた。
 奈良の五条や吉野である。
 ここも柿の産地である。
自前の柿の葉を使い、製法にも独自の手が加えられ、奈良の柿の葉寿司が誕生したのであった。
 この柿の葉寿司、山里のごちそうとして古くから珍重されているが、科学的な根拠からもヘルシーな食品としてその効用が見直されている。
 鯖には高級不飽和脂肪酸であるEPAやDHAが豊富に含まれていて、血液中の血小板の凝集を抑え、コレステロールを減らす効果があると云われている。
また、DHAは脳の発達を良くすることでも知られている。
 そして、柿の葉の中のタンニンは防腐剤の役目を果たすだけでなく、血液の循環をよくして血圧を抑える効果があり、ビタミンCも豊富である。
 いいことずくめではあるが、昔の人はこういうことを分かって柿の葉寿司を考えたのではない。
長い歴史の中で、柿の葉寿司の効用を感じたからこそ受け継がれて来たのである。
 柿の葉寿司は奈良・和歌山だけではない、実は金沢にもある。
ネタには、鯖や鮭の他に鰤などもも使う。
そして桜エビや青藻など、色ものも使うと云われる。
これはカラフルで美味しそうに思える。さすが加賀金沢という感じではある。
 柿の葉寿司で随分時間を取った。
早速、奈良公園へ行って、紅葉はどうだろうか?と見てみた。
興福寺の北円堂前の楓の紅葉が始まっている。
イメージ 3
 中金堂建築中の興福寺を一周して、途中下車は終了した。