1
 東京で時間が取れたので、今まで行ったことのなかった「根津神社」へ出かけた。
根津神社の最寄駅は何処か?
丁度、千代田線の根津駅と千駄木駅、それに南北線の東大前の3駅で作る正三角形の重心辺りにある。
南北線は新しい線区で馴染みが無いが、乗り換えの都合で南北線に乗って東大前駅で降りた。

東大のフェンス沿いに歩いて行く。
左手にお寺がある。
西教寺と云う寺名である。
願行寺という寺名も並んでいる。
どこかで聞いたようなと思うが、お構いなしに進んでゆく。
この辺りは向丘と云う町名表示がある。

 少し行って右に折れる。
住所は弥生が丘である。
右手フェンスの向こうは東大地震研究所である。
研究者の皆さんは、大事なことであるので、しっかりとお願いしたいと思いながら先に進む。

間もなく急な坂道を下ることになる。
新坂もしくは権現坂という。
この坂を降りきると、根津神社の鳥居へと至る。

 根津神社は徳川綱吉の造営によるものである。
子の綱豊を後継として指名した時に、ここ生まれたところにその産土神として千駄木から遷座したものである。
 根津神社では丁度、お祭りが開催されていた。
イメージ 1
神社内の参詣道にも屋台がぎっしりと出ていて、賑やかである。
 お決まりのご朱印を頂き、話を聞いて見た。
その中で、明治天皇が定めた准勅祭神社として幣帛を捧げ、東京の鎮護と万民の平安を祈願し、東京10社と云うのを定めたと伺った。
また例祭には天皇の勅使も派遣されると云う。

パンフレットも整備されている。
これを機会にこの10社にお参りしてみよう。
そのように決めたのであった。

                 2
 東京10社とは、北から王子神社、根津神社、神田明神、亀戸天神、富岡八幡宮、芝大神宮、品川神社、赤坂の氷川神社、日枝神社、白山神社である。
このうち根津神社も参拝済み神社に含めると既に5社には参拝したことがある。
残りを制覇してみようと、早速行動に移ったのであった。
 順番はともかくとして、交通機関の都合で選んで行くことにする。
千代田線根津駅から地下鉄に乗って、先ずは赤坂駅に向かう。
 赤坂駅で降りて地上へ出る。
TBSを右に眺めながら、「転坂(ころびざか)」を登る。
登って暫く行くとアメリカ大使館の職員宿舎のエリアに到達する。
そこを右折して氷川神社へ向かう。
程なく神社の玉垣が見えてくる。
イメージ 2
 氷川神社は徳川8代将軍吉宗が建てた神社である。
世は質素倹約の時代、社殿も質素である。
尚この地は広島浅野藩の屋敷があった所で、忠臣蔵の浅野内匠頭の正室瑶泉院の実家でもある。
 この神社で案内板を見ていると、歩いて行けるところに乃木神社があると云う。
かつて拙作「京阪奈いろは巡礼」で京都の乃木神社にはお参りしたが、その時から東京の乃木神社が気になっていたので丁度良い機会である。
10社の外であるが、行って見ようと氷川神社を後にしたのであった。
 氷川神社の前の通りをそのまま進んでゆく。
正面に高い六本木ヒルズ森ビルが見えてくる。
暫くすると地下鉄六本木駅付近に到達する。
出た通りは外苑東通りである。
この通りを西北の乃木坂駅方向へ向かう。
 右手にミッドタウンのビル群がある。
かつて来たことがあるなと思いつつ、更に向かう。
乃木坂陸橋に到達する。
目の前に乃木神社の森が見える。
陸橋の傍の階段を降りて行くと、そこに乃木神社の鳥居があるようである。
早速行ってみよう。
イメージ 3
 京都伏見の明治天皇陵の麓にある乃木神社に比べて、東京の乃木神社は随分都会的である。
ここは乃木希典大将の旧宅だったそうで、その質素な建物も保存されている。
明治天皇の大葬の日に夫婦で自害されたことは良く知られている。
また境内には、乃木の若いころに師事した玉木文之進と吉田松陰を祀る正松神社もある。
 お参りし資料館を見学し、しばし乃木希典氏の偉業を偲んで、地下鉄乃木坂駅に向かったのであった。