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 四国徳島には徳島ラーメンと云うご当地のラーメンが存在する。
この徳島のラーメンであるが、戦後直ぐの小松島の屋台から始まったと云われる。
戦後直ぐのラーメンは白濁した豚骨スープであった。背景はこうである。
戦中に徳島にハム工場が出来た。
そのハム工場とは「徳島ハム」、現在の「日本ハム」である。
ハム工場は、廃物として豚骨・豚ガラが豊富に出る。

それを有効に利用したのが徳島のラーメンの始まりと云われる。
小松島で屋台を引いてこの豚骨ラーメンを提供したのである。
そのルーツともいえるラーメンは現在の小松島市には数多くある。現在の徳島ラーメンにはスープの色により3種類が存在する。
徳島でも、他の街と同じように中国から伝わった中華料理の中華そば(黄色いスープ)が主流であった。
それには満足せず、対抗して豚骨だけの白いスープでラーメンの独自の歴史が始まったのであった。

 小松島の屋台は徳島の街にも出て、それが広がったと云われる。
 しかし徳島では豚骨だけでは飽き足らず、その豚骨スープに濃い口醤油で味付けした。
徳島市で主流の黒スープのラーメンいわゆる「徳島ラーメン」である。
 徳島のルーツのラーメンを食べに小松島に出かけた。
小松島には、かつてあったJR小松島線も小松島駅ももう無い。
かつて本州と四国徳島を結んだ連絡船ももう無い。
 原因は色々とあろうが、大きな原因は本四架橋であることは間違いがない。
それはそれで文明の進化であろうが、その犠牲になるところもある。
街が寂れてしまうケースもある。
小松島はどうか分からないが、関係者の方々が地方再生の努力をされていることは事実である。
 かつて小松島線が分岐されていたJR牟岐線「中田(ちゅんでん)駅」で下車した。
ここからかつての小松島駅までは2kmである。
この廃線跡が遊歩道となっていて、歩いて行くとかつての小松島駅に到達する。
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 途中で横道に逸れると、小松島ラーメンの「MT]という店がある。
先ずはラーメンである。
店の構えは普通の民家である。
看板が無ければ入りづらい店である。
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 引き戸を開けて入る。
テーブルも椅子も飾らない。
席があったので座って、ラーメンを注文した。

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待つこと暫し、ラーメンが出された。

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 見かけ飾らないラーメンである。
 特段に取り立てて云うほどの奇をてらう味ではない。
豚骨ラーメンの基本味である。
美味しく、時代の流れを噛み締めながら頂いた次第であった。
 小松島に来たからには、旧の小松島駅まで行かないと意味がない。
元の遊歩道に戻り、歩いて見た。
 終点には小松島駅がかつての姿のまま保存されている。
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 SLも停車している。
駅前は広い公園「小松島ステーションパーク」となっている。
そこには、よそでは見慣れないものが幾つかある。
 先ずはタヌキ像である。
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 タヌキ像は5mの高さで世界で一番大きいとされ、この公園の東側にある。
狸ひろばと云われる。
 小松島はなぜタヌキなのであろうか?
それは民話『阿波狸合戦』の舞台であることに因んでいる。
また、この公園を周回する遊歩道には、この民話に基づく大将ボス「金長たぬき」を始め多くのタヌキ像が並べられている。
このタヌキに関連して近くには金長神社というタヌキを奉じた神社もある。
また金長饅頭という饅頭もあり、地元のお土産としても有名である。
 前述のように小松島にはかつて旅客用の港があって、徳島県の玄関口として栄えていた。
いまは無く、やはり街も寂れる方向に行っているようである。
人口は減少しているが、徳島市のベッドタウンとして変貌し、かつての興隆を企画している市役所が公園の隣にある。
 もう一つ公園の近くには日本赤十字社の徳島病院が近代的な姿を見せている。
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 小松島だけでなく徳島市にある大学病院や県立病院と合わせて県の中核の医療施設であると思われる。
小松島の港が縮小された今、医療都市や住宅都市としての変貌を遂げようとしているのであろうと思った次第である。