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 京都の祇園の街角に「壹銭洋食(いっせんようしょく)」と云う店がある。
いつできたのかは知らないが、気が付いたら店ができていた、そんな店である。
 場所は四条大橋の東、四条通りと縄手通りの交差点の東北角である。
 店頭の飾りは大正・昭和レトロか?
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 店頭に鉄板を備え付け、そこで壹銭洋食なるものを焼いているので、どんなものかは想像がつくが、一度食べてみようと店内に入ってみた。

店の中は結構広い。
平日であるので2~3割の席の埋まり具合である。
それも修学旅行の女子高校生のグループが3~4組ほど…。
案内のタクシードライバーも一緒である。

 広い店内の座席の所々に、着物姿のマネキンを座らせている。
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 見たときはドキッとしたが、慣れると何も感じない。
そういう趣向であるが、平日のガランとしている時は良いのではと思われる。
 奥まった席に案内されたのでそこに座り、壹銭洋食1枚を注文した。
それにここまで歩いてきていたので喉も渇いていた。
メニューにビールがあったのでそれもお願いした。
 まずはビールが運ばれてきた。
喉を潤しながら、料理待ちである。出てきた出てきた。
長方形の皿に乗せられたオムレツ状のものである。

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 早速、頂いてみる。
食べながら、作り方を想像してみる。
 恐らくは、広島焼きのように先ず溶いた小麦粉を広げて焼き、その上に具を乗せて折りたたんだものであろう。
折りたたまれた中には、色んな具が入れられている。
まずはコンニャクのみじん切り、2~3mmぐらいのが沢山入っている。
次に刻みネギ、これも大量に入っている。
京都であるから九条ネギであろう。
 揚げ玉も入っているが、溶いた小麦粉の水分を含んでふやけている。
玉子も入っている。
所々黄色くなっているのでそれとわかる。
 鰹節も入っているようである。
それに少しの牛肉も入っている。
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 焼けているのは表面の小麦粉の生地だけで、中身は生焼けの状態である。
具を載せた後で、溶いた小麦粉を掛けているのであろう。
 折りたたんだ上に刻み海苔が載せられ、周辺にはソースが掛けられている。
このソース、お好み焼きのように甘くはないし、あまりドロドロとはしていない。
串カツに付けるような普通のソースの少しネットリしたようなものである。
味はそれなりに工夫されているようである。
 内部の生焼けが気になるが、毒では無いので、表面の小麦粉の部分と混ぜ合わせて食べる。
どちらかと云うとオムレツにウスターソースを掛けて食べるような味である。
 元々、お好み焼きはこのようなものであった。
水で溶かした小麦粉を鉄板で焼いて、キャベツ、鰹節や刻み生姜を乗せて焼いた子供のおやつであった。
街角の駄菓子屋さんや、家庭でも焼かれていた。
ふの焼、ふな焼きと云われていた。
 当時は洋食とはソースを使うものを言ったのだそうで、この壹銭洋食はそのソースを掛けて販売していたので、その名付けである。
 大正時代当時の貨幣価値は現在の約1,000倍であった。
すると1銭は10円ぐらいに相当する。
いくらなんでも10円では安すぎると思うが、当時は物の値段も安かったのであろうか?
 ふの焼のルーツは、茶人千利休が考案して始まったものと云われているが、この壹銭洋食はその流れで、大正時代に関西で流行したものを受け継いでいる。
 この壹銭洋食の店は、初めは祇園白川沿いの小さな店であったそうだが、祇園の色街で遊ぶ前とか、遊んだ帰りのシメとか、お子さんや奥さんへのお土産にとか、祇園の客に重宝されたそうである。
また、舞妓さんや芸妓さん、それに芸能人にも口コミで人気が出て、まかないきれず店を大きくしたのが今の店だそうである。
 リピーターも沢山あるようで、店頭にはテイクアウトの行列もあった。
温故知新の上手い商売である。
京都観光のポイントとなっている壹銭洋食である。