福岡での用事が終わり、前々から気になっていた博多の由緒ある神社へお参りすることにした。
(1)香椎宮、「古式豊かな…」
 まず一番目は「香椎(かしい)宮」である。
香椎という地名は、あの松本清張氏の「点と線」で初めて聞いた名前である。
ミステリーっぽい響きがして、一度は行ってみたいと思っていた。
 博多から小倉に向いて、鹿児島本線の電車に乗った。
香椎駅でローカル線に乗り換えて、直ぐの駅が「香椎神宮」駅である。
単線であるのでホームは片側しかない。
電車を降りて駅員さんに途中下車の手続きをして、駅前の道を歩き始めた。
 有名な神社であるはずなのに、駅前には案内板も何もない。
神社だから木が生い茂っているはずだ、と木の多そうな辺りを目指した。

暫く行くと道路の頭上に香椎宮の看板を見つけた。
石の鳥居をくぐる。
入口は狭いが、入ると中には大きな前庭が広がっている。
そして奥が深そうでもある。

 大きな楼門がある。
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 見事である。
 階段を登り、その楼門をくぐる。
更に中庭と云うのか広い庭がある。
中央にご神木・綾杉が聳えている。
傍らには枝垂れ桜も見事である。
 その横に中門がある。
朱塗りの見事なものであるが、先程の楼門と比べればかなりの小ぶりである。
 中門をくぐると拝殿が目の前に迫る。
香椎宮」と額が掲げられている。
まずはお参りを済ます。
 横には奏楽殿、雅楽の舞台であろう…。
これも見事で、雰囲気がある。
 この香椎宮本殿は建築様式で云うと香椎造り。
今はもう、ここにしかない造りだそうである。
現在の本殿は1800年ごろの建築で、当地の殿様・黒田氏により建てられたものである。
 大きな楼門の横の社務所でご朱印を頂いて、少し話を聞いてみた。
この香椎宮、奈良時代の創建だそうである。
仲哀天皇、神功皇后をお祀りしているという。
 香椎の名は、敷地内に香ばしい香りの棺懸(かんかけ)の椎(しい)が立っていたことに由来するという。
 また、神社はよく香椎神宮と云われるそうである。
それはJRが最寄り駅を香椎神宮と名付けたためにそう云われるのは分かる。
しかし、神社の名前はそうではない。
明らかに誤りであるとのことである。
 「点と線」に出てくる香椎の浜あたりまで歩いてみたかったが、時間足りず、一社目はここでお開きとし、ローカル線の駅に向かった。
香椎宮、その杜とともに古式を伝える神社であった。
(2)筥崎宮、「強い子供に…」
 香椎神宮駅から香椎駅に戻り、鹿児島本線で博多方面に戻る。
暫く行くと、箱崎という駅に到着する。
到着前に右手を見ると大きな大学が見える。
国立大学法人九州大学である。
かつて、この大学の構内にが米軍機ファントムが墜落したと云うことがあったのを覚えている。
 それはさておき、箱崎と云う駅で、途中下車。
最近改修されたようだ。
綺麗な駅である。
駅前の広い道を神社の方向に歩く。
途中で筥崎宮の頭上看板が出て来た。
それを目指して右折、暫く行くと神社の塀に沿う。
正門までと思い、塀に沿って左折、大鳥居に到着した。
 この筥崎宮、入口の鳥居から参道を眺めると、ずうっと遠くまで伸びている。
海岸から参道が伸びていて、ここ境内に到達だそうである。
 筥崎宮は筑前一宮の一つ。
平安時代中期の創建である。
祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命である。
八幡神社であり、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、大分の宇佐神宮とともに日本三大八幡宮の一つとされる。
 因みに神社の名は円筒状の器を意味する筥が正しい。
この辺り一帯は筥崎と言わず箱崎と云う。
それは筥崎八幡神に対して恐れ多いという理由から「箱崎」としたと云うことである。
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 この神社は、蒙古襲来の元寇に関係する。
元寇の際に亀山上皇が敵国降伏を祈願し、楼門に「敵国降伏」の扁額を掲げたという。
神風が吹いて蒙古軍を撃退したというのはこの神社の神徳であるとされている。
その扁額は今も大きく掲げられている。
以来、海上交通・海外防護の神としても信仰されているようである。
 境内には、三々五々、入学式を済ませたばかりのような制服の子供が大人に手を引かれてやって来ていた。
お参りして、記念撮影をしつこいくらいに何度も撮っている。
 お宮参りか、抱っこ赤ちゃんも来る。
 源氏が氏神とする八幡神社であり、さらに蒙古襲来を撃退したご利益もあるので、その為であろうか?
強い子に育つようにとの期待が大きい神社と思った。
 境内は広い。亀山天皇の大きな像も祀られている。
千利休が寄進したと云われる豊臣秀吉の九州平定記念の燈篭もある。
 子供達の間を縫って、何とかお参りを済ませた。
ご朱印を頂き、博多駅までのバスを聞いたが、なんだか要領を得ない。
 神社を背に、参道を海の方へ教えられた方向に行ってみた。
少し歩いたところに、地下鉄の「筥崎宮前」という駅があった。
地下鉄に乗って、博多に戻ることにした。
(3)住吉神社、「海の神…」
 最後の三ッ目の神社である。
住吉神社というありきたりの名の神社を訪れた。
博多の駅近くにはもう一つ櫛田神社という、祇園山笠で知られる神社があるが、今回はもう一つの筑前一宮、住吉神社を選んだ。
 博多駅から15分程度歩いた。
歩かなくてもバスが頻繁に走っている。
それに乗ればよいのだが、異邦人にはバス停がかなり複雑に見えて、聞かないと分からない。
聞くのも面倒なので、歩くことにしたのであった。
 住吉神社という神社はわが国には約2000社あるそうである。
その総元締めは大阪にある住吉大社。
そしてここ博多のと下関のとを合わせて、日本三大住吉と云われる。
 中でもここ博多の住吉神社は創建がもっとも古く、古書には「住吉本社」、「日本第一住吉宮」などと書かれているそうである。
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 住吉神社というところにお祀りされているのは住吉三神の底筒男命・中筒男命・表筒男命である。
そして神社によっては神宮皇后やらもお祀りされていると云う。
ここ博多では、天照皇大神もお祀りされている。
 古代の地図によると、この住吉神社は博多湾に注ぐ那珂川の河口に付き出た半島に、博多の港や海の守り神として鎮座していたそうである。
 江戸時代になって、筑前は領主黒田長政によって治められることになった。
その時に、本殿が長政の手によって再建された。
現本殿であり、重要文化財となっている。
 お参りして、ご朱印を頂き、境内を散策してみた。
さほどの広い境内ではない。
 三日恵比須神社という変わった名前の摂社があった。
一般的には十日恵比須だが、三日とは意味がよくわからない。
 少し由来を調べて見た。
 博多に住むFさんという人が、昭和21年の元旦に、那珂川の河原へ初日の出を拝みに行った。
その時、ふと足元を見ると袋が置かれてあり、見事な木彫りの恵比須さんが入っていたと云う。
 早速持ち帰りお祀りしたところ、次々に目論見が皆成就したと云う。
それを聞いた友人のOさん、恵比須像をFさんに懇願の上、借り受けて、自宅でお祀りしたと云う。
すると、Oさんにもマタマタいいことばかり、不思議な霊験をありがたく思ったと云う。
 Fさんはこんな霊験あらたかな神様を独り占めにしてはいけないと云うことから、昭和24年の正月三日に現在の住吉神社の境内に神殿を拵えてお祀りしたと云う。
 これが三日恵比須の始まりである。
毎年1月1日~3日に恵比須祭りが催されることになったのである。
 博多っ子は初詣と恵比須参りを、正月三ヶ日で出来てしまうことになったのであった。
 三社参りも終了した。あとは帰るだけである。
 お土産には何時も悩む。
やはり博多は明太子であろうか?
和え物明太の中から昆布を選んで、新幹線に乗ったのであった。