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 所用で福岡県の小倉に出かけた。
用を済ませ少し時間が空いたので、今まで行ったことの無かった関門海峡を見に行こうとJRに乗って門司港を目指した。
小倉から門司港までは2駅か3駅だったと思う。
すぐに着いた。
 さて、関門海峡に行くにはどうするか?
駅で地図パネルを見て見た。
海峡に和布刈(めかり)神社と云う名を見つけた。
昔読んだ松本清張氏の小説『時間の習俗』に出てきた記憶がある。
「行ってみたい・・」
 観光案内所で、和布刈神社へのバスを聞いた。
今から一時間後に出るとのこと…。
「歩いた方が早いですよ…」
と云われたが、そんな時間はない。
 仕方ないから、駅前に並んでいたタクシーに乗った。
「和布刈神社…」
「ハイ、分かりました。実は今日が初めてなんですよ…。初めてのお客さんです。この辺りは良くわかるから大丈夫です。行きましょう…」
人の良さそうな、少々太めの兄ちゃんである。
「前は何をしていたの?」
「力仕事です。倒産して、やむを得ずです」
「免許取るの大変だったでしょう?」
「中には10回も試験受ける人もいるみたいです…」
それ以上は聞かない。
「給料は歩合でしょう?大変だね…」
「いやいや、3ヵ月は保証なんです」
「それじゃ、しばらくは安心だ…」
 何やかや喋ってるうちに、和布刈神社に到着となった。
頭上に関門海峡大橋がのしかかっている。
 和布刈神社の鳥居をくぐった。
小さな神社である。誰もいない。
本殿にお参りして、神域を一巡。
本殿前に海に降りる階段がある。
「和布刈神事は、ここから海に降りるのか? ふんふん…」
神事を想像して、観光は終了した。
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 それにしても関門海峡大橋、頭の上で威圧的である。
対岸下関も良く見える。町が良く見える。
そこまで僅か1kmぐらいか?
先程通って来た道路に戻って、帰りのバスの時刻を確かめた。
駅発のバスがUターンするので、後一時間は待たないと…。
無駄なことになった。
 道路脇の山裾には「関門トンネル人道入口」の大きな看板が見える。
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 近づいてみた。
看板の下にエレベーター2基がある。そして、対岸まで約13分と書いてある。
「向こうまで行ってみよう…」
エレベータで地下道に降りた。
 しかし「人道」とは面白い表現だなと思う。
鉄道トンネルにしろ、車のトンネルにしろ、人が通る道は全て人道である。
その交通手段を言っているのだから、ここは歩道と言わないと…。
この辺りの独特の表現かな? と、勝手に思ったりした。
トンネルは2人で手を繋いで広げると一杯くらいの幅で、高さもそれくらいである。
 歩き始めた。
すれ違う人を見ると、どうも地元のウオーカ―のようである。
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 山口県発、福岡県へ、そして山口県へ戻る。
それで30分位の歩きである。
「ちょっと福岡まで、行って来るわ…」
そんな感じか…?
 何やら車の音が聞こえる。
「車道、歩道共用のトンネルだな…。歩行専用でトンネル掘るはずないわな…」
と思ったりして、10分位で下関側のエレベーター前に着いた。
 地上に出る。
そこは土産物屋も並ぶ観光地であった。
門司側の寂しさに比べ、賑やかな場所である。
 今度は対岸となった門司側を眺めて見る。
 大橋と、木々に覆われた山が見える。
ずっと右向こうに門司港らしきが認識できる。
 ここの海岸は公園になっている。
源平合戦の最後の舞台、壇ノ浦に面した御裳川(みもすそがわ)公園である。
安徳天皇入水之碑や義経八艘飛(はっそうとび)の像もある。
 新しいところでは、
幕末の米仏蘭英の4国と長州藩が闘った下関戦争の砲台の跡でもある。
加農(かのん)砲120門で海峡を通過する連合艦隊に攻撃を加えたと云う。
そのうちの5門が並べられている。
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 歩いて門司側へ戻っても、まだバスまでにはかなりの時間がある。
頻繁に走っている下関側のバスで駅まで行くことにした。
途中に赤間神宮があった。
ここで途中下車。
神社にお参りし、平家の墓、安徳天皇陵を見て再びバスに乗った。
 途中にふぐで有名な唐戸市場があった。
時間があれば途中下車して美味しいふぐ料理と云うことになるはずだが…。
そして、このミニ旅のタイトルも「下関のふぐ」となるはずだが…。
残念ながら横目に見て、下関駅に到着となった。
 JRで関門海峡を渡り返し、小倉まで戻った。
 聞いてみると、関門海峡には高速道路の橋1本、新幹線、在来線、国道のトンネル3本があると云う。
 人道トンネルは国道トンネルの下に付随している「おまけ」である。
しかし、海峡観光客や地元のウオーカ―には有り難いサービスではある。
 これだけの道路があれば、何が起きても交通が途切れることは無いはずである。
 完全装備かと印象を新たにした次第である。
 関門海峡往復のミニ旅であった。