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 京都の紫野に今宮神社と云う由緒正しき神社がある。
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 観光ルートからは外れているようで、観光客が来ることは少ない。
どちらかと云うと市民の方たちが参拝するのがメインの神社である。
 関西では、今宮というとまずは大阪の今宮戎となる。
この京都の今宮神社を思いつく人は少ない。
 今宮神社の創建については、平安時代に都に疫病や災害が多発したため、怨霊のたたりであるとして御霊会に関係している。
御霊会は神泉苑を始め各所で行われたが、その一つに船岡山で行われた御霊会の終了後にこの地に神殿が造られ、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の3神を祀ることになったのがこの神社である。
 この神社、徳川5代将軍綱吉の母、桂昌院がご当地出身であるがゆえに、寄進・復興に力を入れたと云われる。
 余談であるが、桂昌院は、京都西陣の八百屋に生まれた「お玉」が、3代将軍家光の側室となり、綱吉の生母となったことから従一位となり、「玉の輿」と言うことわざが出来たと云われている。
 先日、蓮台野・紫野を探訪した時に立ち寄ってみた。
まずは名物である。
 今宮神社の門前には、古くからの名物がある。
東門の参道の両側に、北側に「いち和(一文字和助)」、南左側に「かざりや」という旧町屋の「あぶり餅」を焼いている店がある。
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 京都では最も古い和菓子屋さんと云われ、一方は創業1000年、他方は400年と云っている。
恐らくは、神社創建の頃、門前路端に小さな店があり、その後江戸時代に桂昌院の手で神社が再興された時に店を構えたものであろうと思われる。
 古い方の店に入って、あぶり餅を頂いてみる。
店はオープンスタイルである。
時代劇に出てくる茶店のしっかりした店構えを想像して頂ければ当たっている。
 あぶり餅は店頭に置かれた長方形の七輪状のもので焼かれている。
 つきたての餅を親指の先ぐらいの大きさにちぎり、きな粉をまぶし、先端を2つに割った竹串に刺し、焦げ目がつくまで炙る。
炙った後に、京都名産の白味噌を主体に調合されたタレに浸して絡め、皿に10本盛って出来上がりである。
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  客の嗜好に合わせてあるのであろうか?
食べてみると結構甘い。
 平安から江戸時代に掛けては砂糖は庶民には簡単に口にできるようなものではない。
自然物の甘味で味付けしていたはずで、このような味ではなかったろうと思われるが…。
時代に合わせて、味も甘い方向に変化してきているのであろう。量はそれほど多くはないので、ペロリと平らげてしまったのであった。

 神社の境内へ入ってみる。
まずは本殿に参拝し、ご朱印を頂いた。
 境内には、阿呆賢(あほかし)さんという石がある。
この石は「神占石(かみうちいし)」と云われ、病弱な人はこの石を撫で、その手で体の悪いところを撫でれば、病気の回復を早めると云われる。
また「重軽石(おもかるいし)」とも云われ、手の平で三度石を叩いて持ち上げると重く感じるが、再度願い事を込めて三度叩いて持ち上げ、軽く感じれば願いが叶うと云われている。
 境内にはこの神社再建への功労者桂昌院の碑もある。
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 また珍しいところでは、織田信長公を祀る「織田稲荷社」がある。
元々は信長の墓所である阿弥陀寺の移転跡地に鎮座していたが、これを昭和の終わりごろ、神社内に移したものである。
 この神社には「やすらい祭」という祭がある。
風流傘の飾られた花に厄を乗り移し、それを神前で退治てもらうという奇祭である。
太秦の牛祭り、鞍馬の火祭りと並んで「京都三奇祭」の一つと云われている。
 このやすらい祭は「夜須礼(やすらい)」「鎮花祭」「やすらい花」とも云う。
春の花が咲き散る時期になると、疫神が花びらに乗って辺り一帯に散っていき、病が流行るという云い伝えが平安の昔にはあった。
それで花の精をなぐさめ、厄病の流行を静めるために始められた「花鎮め」が起源と云われている。
 この祭りには次のような言い伝えもある。
「祭の日が晴れれば、その年の京都の祭事はすべて晴れ、雨ならばすべて雨が降る」
「桜や椿などで飾られた花傘に入ると、一年間健やかに過ごせる」
「初めてこの祭りを迎える赤ん坊は、花傘に入ると、一生健やかに過ごせる」
 と云うことで、市民には人気がある祭りである。
この祭り、毎年4月に行われるので、まだまだ先であるのは残念と思い、神社を後にしたのであった。