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 所用で北九州方面へ出かけた。
所用を済ましてから名所・名物を訪ねるのが最近の行動パターンになっている。
悲しい性と云うべきか、物好きと云うべきか・・・?
 まず、北九州市の折尾と云う所で所用を終え、次に飯塚市での所用先に向かう。
JR筑豊本線に乗るのだが、何やら変わった線区の名前が付いている。
「福北ゆたか線」、最近流行りの路線の愛称であろう…。
外から来た人間にはよくわからない。
福岡市と北九州市を筑豊地区を経由して結ぶ線なので、福と北、そして筑豊の「ゆたか」ということらしい。
 勤め帰りにはまだ少し間がある夕方だったので、乗客は高校生風が多い。
しかも電車のドアの内側には、『ドアの前に座り込まないでください』のような表現だったと思うが、このような文言が貼ってある。
「なるほどなるほど…」
 この地域独特と思われる。
 電車に乗って周りの風景を眺めながら40分位で目的駅「新飯塚」に着いた。
この沿線は筑豊炭田で知られているところである。
ボタ山の一つでも発見できないかと思って目を凝らしていたが、それらしきものは見ることができないまま到着となった。
 下車して、予約のホテルに向かった。
ホテル前に巨大な病院があった。
麻生飯塚病院と云うのだそうである。
そういえばこの辺りは麻生元首相、現副総理の地元だな、と改めて思い直した。
ホテルの隣のスーパーも「あそう」…。
聞くと麻生御殿と云うのもあるそうであるが、そこまでは興味がない。
 あくる日、用を済ませて早速探検の始まりである。
バスに乗った。
「飯塚行き」と書いているので、駅まで行くのだろうと勝手に思っていた。
何と着いたところは「飯塚バスセンター」。
「駅には行かないの?」
と聞いたが、
「飯塚はここです。終点です」
との返事は冷たい。
 バスセンターに掲示している地図を見ると、ここら辺りが飯塚の街の中心らしい。
駅まで行くと戻って来ないといけなかったので、丁度よかったのではあるが…。
 地図で目に付いたのは、まず「嘉穂(かほ)劇場」。
名前は知っていたが、突然にその名前が出てきたので少なからず驚いた。
早速行ってみることにした。
 住宅街の中に佇む、緑屋根の大きな建物であった。
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 創立80年強だそうである。
まだ現役で、次回公演の大看板が取り付けられている。
歌謡コンサートや演劇が行われていると云う…。
小さな芝居小屋かと思っていたが、そうではなかった。
1000人以上も収容できる大劇場である。
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 受付で聞いてみると、内部の見学ができるとのこと…。
早速、見せてもらった。
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 客席、舞台、奈落、展示室など見学した。
さすがに古い劇場と云うべきか、全てが手動である。
他には誰もいないので、ゆっくり見学させてもらった。
 そういえばこの街はかつては炭鉱に働く人たちの盛り場であった。
沢山の娯楽施設や食事処、飲み処があって、人は溢れ返っていたに違いない。
現在もその名残はそこここにある。
感慨を新たにした次第である。
 飯塚と云う街は遠賀川の支流、穂波川に囲まれるようにある街である。
JR線もこの川の外側を通っているので、駅「新飯塚」「飯塚」とも歩き20~30分位の距離で離れている。
 飯塚でなくても良いのだが、今度の探検の目的が一つあった。
それは「数の子めんたい」を手に入れることである。飯塚の通りをアチコチしていたら、「Fや」という明太子専門店を発見した。
入ってみた。

定番の明太子の隣に、いか、クラゲなどのあえ物のめんたいが並んでいる。
数の子めんたいもあった。
早速、購入となった。
 お客サービスで「お茶でも飲んで行きませんか?」と言われ、そばのテーブルで、お菓子とお茶を頂いた。
「ごちそうさま」の言葉を残し、店を後にして、今度は飯塚駅まで歩いた。
ちょっとしたミニ旅であった。
 それから一カ月ぐらい後に、山口へ仕事で出かけることがあった。
残念ながら街を探検する時間はなく、せめて雰囲気に浸ろうと
新幹線駅「新山口」で駅中の土産物屋を覗いて見た。
 山口と云えばふぐ…。
ふぐ加工品を売ってるコーナーで、この前と同じようなめんたい風の小箱を発見、近づいてみた。
幾種類かの小箱の中に、ふぐのあえ物のめんたい「ふぐめんたい」があった。
下関の銘も入っている。
 ふぐと明太子のコラボレーション、早速買った。
 数の子めんたい、ふぐめんたい…。
どちらも酒の肴には最高であった。
 もっと云えば、ふぐめんたい、お茶漬けの具にしてみた。
それはもう何とも言えない歯応え食感があり、素晴らしいものであった。