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 大阪府の東部に生駒山を市域に含む大東市という街がある。
 大東市の名前の由来は、簡単には大阪の東の市と云うことであるが、元々は、古代ローマのことわざに「光は東方より来る」から、大阪に東から光をもたらす市と云う願いで名付けられたと云われている。
 この大東市の中心駅はJR学研都市線「住道(すみのどう)駅」である。
今回、この駅で途中下車して付近を眺めることにした。
 この駅の近くには、小生が10数年もの間勤務した企業の事業所がある。
ここ何年かはご無沙汰しいるので、久しぶりに下車することになる。
 住道には「L」という有名な洋菓子屋さんがある。
駅前から続く商店街の中に一つと、奈良へ向かう阪奈道路沿いに一つその店はある。
この洋菓子屋さん、大東銘菓の和菓子を製造販売をしていることで、地元では良く知られている。
 どんな和菓子かと云うと、ケーキ屋さんが得意のスポンジを薄型円形にして、そして二つ折にして、その間にリキュールで処理した大納言餡と羽ニ重餅を挟みこんだ菓子である。
この菓子は「野崎小唄」と云い、袋カバーには唐傘がデザインされている。
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 実はこの「野崎小唄」、会社にいた時は客先への訪問時、よく手土産に持参したものである。
地元の銘が入っているので、それなりに話題性もある。
 外からの来客が手土産として持参する場合もあるので、たまには頂いたが、和洋折衷の味わいで得した気分になり、大変美味しい。
 お店に行き早速購入し、店員さんと話をしてみた。
「最近、○○社への売り上げはどうですか?」
元いた会社のことである。
「以前は手土産用と云うことで良くお届けに上がったんですが…、最近はさっぱりですわ」
「そうですか? それは残念ですね…。以前はお世話になりましたね…」
 なぜ最近さっぱりになったかはお互いに分かっているのだが、それに触れずに会話は終了した。
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「野崎小唄」と云えば、昭和の初めの頃、東海林太郎氏の流行歌である。
古い方ならご存じと思う。
  『1、野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人
   2、野崎参りは 屋形船でまいろ
お染久松 切ない恋に
残る紅梅 久作屋敷
今も降らすか 春の雨
   3、・・・・・・・・       』
 野崎観音(慈眼寺)は大東市にある曹洞宗の寺である。
生駒連山の飯盛山の中腹にあり、街を見下ろす静かなところにある。
この寺は奈良時代の創建で、天智天皇の時代に民衆の救済に尽力した僧行基が観音像を刻み、安置したのが始まりと云われている。
 江戸元禄の頃、大坂の中心部から繋がっている川に屋形船を浮かべ、観音様にお参りする野崎参りが流行したと云われている。
当時はこのあたりはのどかな田園地帯であったと思われ、歌にも出ている。
 この野崎参りを題材にして、実際にあったお染久松の物語を人形浄瑠璃として、近松門左衛門に私淑していた近松半二により書かれた。
野崎小唄の2番で歌われている部分である。
 野崎村の野崎観音の近くに久作という男の屋敷があった。
その久作には、養子の久松と、女房の連れ子のお光という娘がいた。
久作は気立ての優しいお光を、久松の嫁にしようと考えていたのであった。
 一方、久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘お染と知り合い、恋仲となった。
しかし、その仲は油問屋の主人や女将からは身分不相応と云うことで、疎まれた。
 油問屋から実家に戻された久松は許婚のお光と祝言を上げる運びとなったのである。
 そこへ野崎参りと偽り、お染が久松の住む野崎村を訪ねて来たのであった。
 だが、お染は久松とお光が祝言をあげるということを知り、
「二人はずっと一緒やというたのは嘘やったの? 嘘でないと言うなら、一緒に死んでちょうだい!!」
と、久松に心中を迫った。
それに応えて久松は死を約束したのであった。
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 この2人の会話を隣の部屋で聞いていたお光、・・・。
 予定通りその夜に祝言は行われたが、白無垢姿のお光が綿帽子をとると、そこには剃髪した哀しい姿があったのである。
「久松様、私は尼になりました。もう貴方様とは祝言をあげることはできません。どうぞお二人で、お幸せに…」
自分を殺し、二人に幸せを譲るお光の究極の愛の形であろうか・・。
 それを知った油問屋主人、二人の仲を許すことになった。
お染と久松が籠と舟と別々の乗り物で、油屋へと戻って行く場面で物語は終わる。
 実際は2人は心中したと云うのが定説ではあるが…。
 作家、近松半二描くところのお染久松物語は、剃髪までして2人の幸せを願うお光を主人公にしたようにも思われる。
 根っからのお嬢様育ちのお染の軽い恋と、剃髪までして久松の幸せを願うお光の重い愛が対比され、味わい深い物語である。
 野崎小唄とお染久松につられ、野崎観音まで行き、お参りとお染・久松の塚を見て来た。
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 隣の駅「野崎」まで行ってしまったことになった。
 しかたがないので、帰りはこの駅から途中乗車?したのであった。