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 岐阜県の中心である岐阜市や大垣市は新幹線から離れているため、最近は馴染みが無くなっている。
一度大垣駅で途中下車してみようと名古屋から在来線で大垣方面へ向かうことにした。
快速電車に乗ると、最初は尾張一宮、その次は岐阜、そして岐阜から2~3駅目が大垣駅である。
 電車は大垣駅で終点である。
大垣には仕事で何度も来ているが、いつもは車なので駅は初めてである。
大垣は水の都と云われる。
市の文化施設は「スイトピア」、水都から来ている。
もう止めたが駅前でコンビニを経営している会社仲間もいて、その家に泊めて貰ったこともある。
 しかしながら観光はしたことは無い。
今回が初めてである。
大垣と云えば石田三成が関ヶ原の前夜入った大垣城、先ずそこへ行ってみよう。
 しかしその前に腹ごしらえである。
大垣で気になっていたことがあった。
饂飩や蕎麦の出汁の味である。前回調べたのでは、大垣西の関ヶ原が関東出汁、関西出汁の分界点となっていた。
そうすると大垣は関東の濃い出汁であるはずである。

 駅前に蕎麦屋さんがあった。
「SRSN」という屋号の店である。
信州蕎麦の店なんだなと思い、まずは入ってみた。
 味を確かめるにはかけ蕎麦が一番良いのだが、いかにも寂しい。
山かけそばを注文した。
 昼には遅い時間帯であったので、客はまばらであった。
店員さんに聞いて見ると、この店大正8年からやっているそうである。
 こだわりは、信州の蕎麦粉をご主人自らの手打ちで仕上げていること、そして水は水都大垣の名水である自家の井戸水を出汁にも使っているとのこと、そして出汁には3種類の削り節と白醤油とたまり仕立てを使い分けているそうであった。
良い店に当たったと思いながら、料理を待ったのであった。
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 出された蕎麦は見るからに濃い出汁である。
なるほど、なるほど、好きな味であった。
やはり大垣は関東風の濃い出汁であった。
たちまちに完食となったのであった。
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 駅前からの広い道を歩く。
直ぐ川に行き当たる。
趣のある橋である。
 この橋を渡って川沿いに進む。
途中「水の都 たらい舟」の幟も懸っている。
 幾つかの橋を過ぎ、辰之口橋の所から南下する。
 ここは大垣城の辰之口門のあった所である。
 左手に天守閣が見える所まで来た。
 近づいてみる。
天守の前に大きな木が聳えている。邪魔な木である。
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 天守の正面へ回って見る。
内部見学ができるようであるが、再建天守なのであまり興味はない。
場所だけを確認し、昔の姿を想像し、大垣城を後にしたのであった。
 あとは芭蕉の奥の細道の結びの地まで行って見よう。
その前に大垣本陣を見てみよう。
 駅前から来る道路を東へ渡って、本陣を探したが中々見つからない。
諦めかけた時に、やっと見つけた。
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 近年に模擬再建されたような近代的な本陣の建物である。
この本陣の前の道が旧の中仙道であろう。
これをまた駅前からの道路を横切って中仙道を西へ進むことにする。
 川沿いに行けばその場所へ出る筈である。
川は一本に集約されて行く。
住吉燈籠があった。住吉神社もある。
その横に旧の町屋もある。川を挟んだ反対側に「奥の細道むすびの地」があった。

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 芭蕉の像と芭蕉が泊まった谷木因(たにぼくいん)の像もある。
 もう歩き疲れたので大垣駅までバスで戻り、米原行きの電車に乗ったのであった。