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 遠くのご当地ラーメンが近くにて食べることができるのは嬉しい限りである。
神戸の垂水の街に笠岡ラーメンの店があると云う話を聞き、行ってようと途中下車した。
JR垂水駅から山手の方に歩いて10分ぐらいのところにその店はある筈である。
駅西側の広い自動車道路に沿って少しの上り坂を歩く。
 途中に「五色塚古墳」という案内看板がある。
丘に上る方向で、距離は数百mとのことなので、元気があったら帰りに行ってみようと通り過ぎた。
 更に行くと「遊女塚」と云う看板がある。
これは道路の傍なので寄ってみる。
4m程の高さがある見事な宝篋印塔があった。
このような大きさのものは全国でも珍しいものである。
 鎌倉時代の建立だそうであるが、元々は海沿いの西国街道にあったものが鉄道敷設の影響でこの山手に移されたそうである。
なぜ遊女塚かと云うと、当時、垂水の沖で舟から落ちて溺死した遊女の供養塔である、との伝説があるらしいが、どうなのか?この遊女塚の少し北の交差点の角に目指すラーメン屋があった。
その店の直ぐ北には垂水養護学校という大きな学校がある。
中華そば「IMI]という暖簾が掛かっている。
待望の笠岡ラーメンに行ってみよう。
 笠岡は岡山県の最西部、広島県との県境の街である。
広島の尾道に近いので、良く似たものであるのかと期待をしていた。
 店に入ってみると、その笠岡ラーメンの能書きが書かれている。
「まじりっ気なしの とり中華そば」と…。
 しまったと思った。
何を隠そう、小生、鶏はあまり好まないのである。
 せっかくだから、とりあえず食べてみることにした。
基本の中華そばを注文した。
 待っている間に掲示された能書きを見てみる。
笠岡ラーメンの歴史は戦前まで遡る。
当時笠岡には300軒の養鶏場があって、鶏肉を安く手に入れられたので、それを使ったラーメンが開発され、現在まで続いていると云われる。
その鶏は育てて直ぐ出荷される若鳥ではなく、1000日以上も伸び伸びと育てられた親鳥であると云う。
当時は数軒の中華そば屋があり、そのラーメンを食べるために途中下車する位に美味しいと云われていた。
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能書きを読んでいる間にラーメンが出てきた。
醤油ラーメンである。
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他の醤油ラーメンと違うのは一点、チャーシューである。
親鳥の鶏チャーシューが乗っている。
他にはメンマ、斜め切りの葱が乗っている。
麺はストレート麺、スープは黒目、醤油が濃いような感じである。苦手な鶏は後にして、先ずスープ。
かなり濃いめである。
富山ブラック程ではないが、その次ぐらいであろうか?
生卵や白ご飯があれば良いような感じである。
麺は好きなスタイルなのでオーケー、メンマは柔らかくて少し甘めの味付け、これも良く合う。
 さて鶏チャーシュー、親鳥であるので食べ慣れていない。
少々堅めで、こりこりしている。
鶏の匂いも結構ある。
これは合わないなァと思いながらも、完食主義なので残すことなく頂いたのであった。
 鶏肉の好きな方には、堪えられないラーメンであろうと思う。
客は次々に入って来て、追加のチャーシューを頼んでいる。
ちょっと違う世界かと思いながら、店を後にしたのであった。
 さて、もう少し時間があるので、看板で見た五色塚古墳を覗いてみようと、丘に登っていった。
かなりきつい登りをクリアーして、丘の上の道を辿るが、なかなか目的地に到達しない。
間違えたかな? と思い横道に逸れてみる。
偶然なのだが、そこに古墳らしきものが見えた。
勇んで近づいてみる。
大きな前方後円墳と少し小さい円墳が並んでいる。
 その古墳の間の道を歩いてみる。
そこに管理事務所のようなものがあった。
古墳へ登ることができる階段も見える。
 事務所で聞いてみると、見学できるそうである。
早速名簿に記名して、更に聞いてみた。
 この古墳は4世紀末ごろのものだそうで、長さ194m、高さ18.8mである。
誰の墓なのかは特定はできていないとのことだが、当時のこの辺りの豪族の墓と推定しているとのことである。戦時中までは、畑にされたりして荒れ果てていたが、戦後発掘調査をして、鰭付円筒埴輪や土器も発見され、現在は神戸市が管理する文化財となっている。古墳の頂上まで登ることができる。
頂上には、模擬埴輪が周囲に並べられて雰囲気を醸し出している。

 頂上からは明石海峡大橋、淡路島が良く見える。
古代と現在技術を同時に味わえる絶景ポイントでもあった。
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