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今から20年近く前の阪神淡路大震災で特に大きな被害を受けた神戸の長田区に、その力強い復興そして街の守りのモニュメント「鉄人28号」が完成したのはもう5年ほども前のこと。
電車の中からは後姿を見かけるが、一度前面から正式に見て見ようと新長田駅に途中下車した。
電車の中からは後姿を見かけるが、一度前面から正式に見て見ようと新長田駅に途中下車した。
新長田の駅を降りてもは、鉄人は直ぐに見えるわけではない。
駅前右手の若松公園にあると云うことを前もって調べていたので、そこを目指して歩いた。
ビルの角を曲がったところで鉄人が見えた。
そこまで5分足らずである。
駅前右手の若松公園にあると云うことを前もって調べていたので、そこを目指して歩いた。
ビルの角を曲がったところで鉄人が見えた。
そこまで5分足らずである。
鉄人の姿はテレビで見ていたので、なるほどと云う感じではあった。
しかし、いったいどこを向いているんだろう?と云う疑問があった。
しかし、いったいどこを向いているんだろう?と云う疑問があった。
向いている方向は南南東ぐらいか…。
海の方向であるが、この像を建てた商店街の方向でもある。
納得納得、商店街を見守るのはごく当り前のことである。
海の方向であるが、この像を建てた商店街の方向でもある。
納得納得、商店街を見守るのはごく当り前のことである。
鉄人の前の広場には舞台がしつらえられていて、鉄人ダンスというイベントが行われていた。
ストリートダンスの大会であろうか?
鉄人を中心に日常的にイベント広場が形成されているとのことである。
ストリートダンスの大会であろうか?
鉄人を中心に日常的にイベント広場が形成されているとのことである。
ちなみにこの鉄人28号、ご当地出身の横山光輝と云う漫画家の作品で、50年ほど前に漫画が雑誌に連載されたものであると記憶している。
鉄人は長田区の商店主らによるのNPO法人神戸鉄人プロジェクトが建設したもので、鉄人の身長は18m、マンションなら5,6階建ての高さで、重さは50トンになると云う。
見事なものである。
尚、建設費は1億数千万円ということで、神戸市からの補助金と個人や企業の協賛により集められたそうである。
見事なものである。
尚、建設費は1億数千万円ということで、神戸市からの補助金と個人や企業の協賛により集められたそうである。
鉄人はこれくらいにして、長田名物に急ごう…。
神戸には「そばめし」という食べ物がある。
ソース焼きそばにご飯を混ぜ込んだようなものである。
神戸そばそばめしはここ長田が発祥である。
ソース焼きそばにご飯を混ぜ込んだようなものである。
神戸そばそばめしはここ長田が発祥である。
そのそばめし発祥の店として知られている「AM」と云う店に行ってみた。
駅前の広い通りを南へ10分ぐらい行って、路地を少し東に入った所にある。
駅前の広い通りを南へ10分ぐらい行って、路地を少し東に入った所にある。
店は路地裏のお好み焼き屋さんという何の飾り気もない店である。
引き戸を開けて入って見た。
テーブル席は既に満員。鉄板前のカウンター(?)席が空いていたので、座らせて貰った。
テーブル席は既に満員。鉄板前のカウンター(?)席が空いていたので、座らせて貰った。
開店直後だったらしく、客全員には水以外は何も出ていない。
おかみさんと思しき人が順番に注文を聞いている。
殆どの人が「そばめし」と言っている。
こちらも何も分からないまま、「そばめし」とだけ言って注文した。
こちらも何も分からないまま、「そばめし」とだけ言って注文した。
客の様子を見ていると、半分くらいは常連さんのようである。
聞いても訳のわからない注文をしたり、冷蔵ケースからビールを持って来たりしている。
聞いても訳のわからない注文をしたり、冷蔵ケースからビールを持って来たりしている。
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一通り注文を聞き終わったところで、鉄板に油を引き始めた。
島は3ヶ所。
油を広げ、ご飯を茶碗に一杯とそば玉2個をそれぞれの島に置いた。
島は3ヶ所。
油を広げ、ご飯を茶碗に一杯とそば玉2個をそれぞれの島に置いた。
少し温もったところで、そばを大きなテコで3~4cm程度に切りながら、ご飯と混ぜている。
混ぜ終わったところでソースをかけて、軽く混ぜて馴染ませる。
混ぜ終わったところでソースをかけて、軽く混ぜて馴染ませる。
次は具である。
具は何?と聞いてみた。
牛筋肉を細かく刻み,味付けした物とのことである。
具を適量載せて混ぜている。
具は何?と聞いてみた。
牛筋肉を細かく刻み,味付けした物とのことである。
具を適量載せて混ぜている。
ここからが圧巻である。
大きなテコ2本で交互にそばやご飯の上から鉄板を高速で叩く。
コンコンと云う音が、店内に響く…。
大きなテコ2本で交互にそばやご飯の上から鉄板を高速で叩く。
コンコンと云う音が、店内に響く…。
またたく間に、そばが1cm程度に刻まれてご飯や具ともよく混ざっている。
暫く置いて、そばめしの完成である。
半分に分けて、その一方が小生の前に大テコで運ばれた。
島で作っていたのは2人前であった。
島で作っていたのは2人前であった。
「ソースをかけて、召し上がってください」
しかし粘り気のあるソース、刷毛では上手くはかからない。
振り下ろすようにかければよいと云うことだが、上手くはいかない。
適当にかけただけであった。
しかし粘り気のあるソース、刷毛では上手くはかからない。
振り下ろすようにかければよいと云うことだが、上手くはいかない。
適当にかけただけであった。
お好み焼き用の小さなテコで食べる。
そばめしはパラパラで上手く纏まらないし、テコは熱い。
そばめしはパラパラで上手く纏まらないし、テコは熱い。
モタモタしてるのを見かねた店の若い大将、
「スプーンを出しましょうか?」
と、スプーンと小皿を出してくれた。
大助かりである。
「スプーンを出しましょうか?」
と、スプーンと小皿を出してくれた。
大助かりである。
やっと味わうことができる。
香ばしい味はするが、やはりソースが足りない。
「まあ、いいか?」
そのまま、最後まで行ったのであった。
「まあ、いいか?」
そのまま、最後まで行ったのであった。
このそばめし、聞くと50年ほど前から作っていたということであった。
白ご飯の弁当を持ち込み、焼きそばをオカズにしていた近くの工場のおばちゃんたちの、
「ご飯温めて…」
のリクエストから始まり、最後は、
「面倒くさいから一緒に焼いて」
と云う注文に応えたのが始まりと云う。
「ご飯温めて…」
のリクエストから始まり、最後は、
「面倒くさいから一緒に焼いて」
と云う注文に応えたのが始まりと云う。
以来、そばめしは密かに流行を始め、全国に知られる神戸名物の一つになり、有名店では行列ができるほどになっている。