1
 ラーメン繋がりで、そして県名の「山」繋がりで越中富山を訪ねてみる。
 富山の街には、市内の要所を巡回する富山地鉄の路面電車が走っている。
地鉄の南富山駅からJR富山駅経由で富山大学とを結んでいる。
 途中に古くからの繁華街と思われる「西町」電停がある。
富山への所用のついでに、この電停で下車して、名前だけは聞いていて、気になっていた「富山ブラック」を食べに行くことにした。
「ブラックと云うからには色の黒いラーメンは間違いない…」
「どんな味がするのか?」
期待が膨らむ。
 色の黒いラーメンと云えば、まず思い浮かべるのはイカスミラーメン、そして京都の新FS館の黒いスープのラーメンである。
「さて、どちらに近いのであろうか?」
 富山ブラックと云えば有名な西町の「TK店」。
その店を見つけ早速注文となった。
 ラーメンには小(並)、中、大とある。
以前、他のラーメンで小を注文して、本当に小だったので、それ以来本当の大きさを聞くことにしているが(並)の括弧書きがあるので間違いない。
迷わず小を注文した。
 待つこと5分…。
真っ黒いスープのラーメンが出てきた。
具は少々厚切りのネギ、焼き豚、メンマ、この3種である。
麺は太めのストレート、かなり太い。
「味はどうかな?」
期待を持ってレンゲを使う。
「塩辛い!!」
 醤油そのものの味の感じである。
イカスミでもなく、京都の新FS館のラーメンでもない。
 麺は堅めで噛み応えあり。好きなタイプである。
しかし問題はスープである。
「辛いし、どうしよう?」
と思案しながら、店内を見回してみた。
『ラーメンの食べ方』と云う掲示があった。
曰く『三味一体、まず混ぜよ!
まず先に、麺・チャーシュー・メンマをスープの中で混ぜるべし。
全ての具をスープになじませることで、TKの味が出来上がるのだ。
これ常識なり。』
 混ぜて見た。
食べて見るが何も変わらない。
塩辛い。
特にメンマは塩のカタマリのような感じである。
 ブラック云うからには、その奥に何か美味しいものが隠されている?
と期待したが、なにもなかったのは残念ではあった。
というか、その時は発見できなかった。
 辛さこらえて、やっとの思いで完食した。
                   2
「富山ブラック、なぜこんなに塩辛いのだろう?」
その訳は、テーブルに置いてあったパンフに書いてあった。
『半世紀以上昔、
ドカ弁やおにぎりを持った労働者のために、
オヤッさんは濃い味付けでチャーシューのたっぷり入った、
「よく噛んで」食べるおかずの中華そばを考えだした。
昭和22年、終戦後のことである。
 噂に噂を呼び、富山祭りには千人もの行列を作ったこともあった。
じいちゃんから、とうちゃん、孫へと、今や三世代にわたり
親しまれているTK。
富山県民ならば知らない者はいない。
これも流行に左右されないこだわりの味を頑固に守ってきたからだと
自負している。』
 全て書かれている。
小生のようなものが、観光気分で味わうようなラーメンではないのである。
肉体労働をして汗をダラダラかいて腹を空かして食べるものであった。
 戦災からの復興仕事をする人たちのために、身になる「おかず」を屋台で提供したのが始まりだったのである。
ご飯を弁当箱に詰めて持参し、ラーメンをおかずにするのが正しい食べ方であった。
だから今もメニューに「ご飯」はない。
 この富山ブラック、最初は観光用の新作のご当地ラーメンかと軽く考えていたが見事に打ち砕かれた。
ここに、このラーメンの歴史・真髄を見た。
 ついでに付近を散策した。
 富山の名付けの起源と云われる真言宗「富山寺」、市民の方が初詣や御祈祷に訪れる「日枝神社」、そして富山銘菓と云われる「月世界本舗」があった。
イメージ 1
 月世界という菓子は和三盆糖と白双糖を寒天で固めて、白く軽いシンプルに仕上がったものであった。
早速、お土産に買って帰った。