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 広島県のどちらか云うと東部、山陽本線と山陽新幹線の駅にJR三原駅がある。
この駅は今まで通り過ぎるだけで全く降りたことは無かった。
 今回少し時間があったので、三原城跡を探索してみようと思い切って途中下車した。
 三原城は戦国時代に、毛利元就の3男の隆景が小早川家の養子となり、竹原、沼田の小早川家を掌握し小早川家の当主となった時、三原の沼田(ぬた)川上流の高山城・新高山城から、海に面した現在の場所に新居城を築城したものである。
その後三原城主は福島氏、浅野氏と入れ替わり明治まで続いた。
 三原城は明治になって廃城となり、その本丸跡に三原駅が建設されたため、駅及びその周辺が城跡の主要部になっている。
主な遺構には、天守台跡、本丸中門跡、船入櫓跡のそれぞれの石垣と堀があり、いずれも駅の周辺にある。
 天守台跡には三原駅構内の階段から登ることが出来る。
天守台跡を見学し、その後駅の外に出て、周囲の遺構を探索してみた。
 まずは天守台の堀と石垣、そして駅の南へ出て中門跡の堀と石垣、東へ移動し船入櫓の堀と石垣を眺めた。
  これで見学は終了である。
暑い中を歩いてきたので涼みたいと思っていたら、隣に上手い具合に大型スーパーがあった。
とにかく入って涼もうと急いだ。
 目に付いた近くのドアから入ったが、そこはフードコートの入口でもあった。
いきなり目にした看板は「やっさラーメン」、写真入りの美味そうなものであった。
 三原名物のラーメンであろうか、昼には少し早いが食べてみたくなった。
フードコートには複数の店があるので、ラーメンの販売カウンターを探さなければならない。
 探し当てると「MKT屋」という店であった。
店員嬢に、
「看板に出ていたやっさラーメンお願いします」
と注文し、代金を先に支払う。
するとお決まりのコール端末を渡され、テーブルで待つことになった。
 暫くして「ピッピッ…」とコール音が鳴る。
いそいそとカウンターへ向かい、端末とラーメンを交換してテーブルへ戻ってきた。
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 やっさラーメンには、細いメンマ、チャーシュー、茹でモヤシ、葱そして半分に切られた煮卵がのっている。
 良く見ると細かくされた背油も浮かんでいる。
 麺はどうなんかと見てみるとストレートの細麺である。
好きな麺である。茹で具合も丁度良く見える。
 早速頂いてみよう。
 スープは醤油味で少々濃いめ。
以前食べた広島ラーメンと同じようなラードの香りと味もする。
そして尾道ラーメンのような魚介の濃い味もする。
 なるほどなるほど、考えてみると三原は広島と尾道の間にある街である。
ラーメンもその良いとこ取りかも知れないと思った次第である。
因みにトッピングの茹でモヤシは広島風、背油は尾道風である。
 好きな味であったので、たちまちのうちに完食となった。
 残された疑問は「やっさラーメン」の名付けである。
そういえば三原駅前に「やっさ・・・」の幟が何本も立っていたことを思い出した。
駅へ戻れば何か分かるかも知れない。
 駅前に「やっさ祭り」の案内テントがあった。
聞いて見た。
 「やっさ祭り」とは、「やっさ踊り」を中心とした祭りである。
小早川隆景が三原城を竣工した時、領民たちがその祝いとして飲めや歌えやで自由に踊ったのが始まりである。
今もって定型の振り付けは無いと云われる。
囃子言葉が「やっさ、やっさ」で、やっさ踊りと云われるようになったとのことで、毎年盂蘭盆に3日間踊るとのことで、30万人が集まる中国地方最大の踊りとのことである。
 そういえば阿波踊りも徳島城の竣工を祝って踊られたものである。

阿波踊りのルーツがこのやっさ踊りであるのかも知れない。

 三原と云えば「やっさ」、その三原を代表するラーメンと云うことで「やっさラーメン」と名付けたのであろうと納得した。